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習志野バプテスト教会の週報

◆ ロマ書の学び(319)

▽ み言葉に生きる


  〝凡(すべ)ての人、上にある権威(けんい)に従うべし。そは神によらぬ権威なく、あらゆる権威は神によりて立てらる。この故(ゆえ)に権威にさからう者は神の定(さだ)めにもとるなり、もとる者は自らその審判(さばき)を招かん。〟(もとる=反する)
        ロマ書一三章一、二節

  使徒パウロは、まずロマ書一三章のはじめの部分で「権威」について書いている。一般社会にある権威というものは、神様がお立てになった秩序である。一つの国を治(おさ)めていくために、政府があり、その国が立ちゆくための方針、大きな方向づけを政治家たちが考える。私たちは国の指導者達のために祈り、正しい方向づけをしなければならない。

  多くの国が、このキリスト教の聖書を基準として、憲法を作っている。日本の憲法(けんぽう)もまた、ご多分にもれずである。意外に思われるかもしれないが、イギリスの憲法は聖書が基準になっており、そのイギリスの憲法をほとんどまねて明治憲法がつくられた、と言われている。日本最初の時代の憲法を見ると、父母を敬う、など、聖書の中で学んだ十戒(じゅっかい)の言葉が出てくる。日本の憲法は、キリスト教の聖書を基準としたものを外国から借りて持ってきたが、残念ながら実はその精神を見失ってしまっている。 だから私たちは、神様がおたてになった秩序を重んじることがとても大事であると思う。

  もちろん、すべての国の政府が、正しく神様を畏(おそ)れ敬(うやま)って、神様を礼拝するかというと、そうではない。

  「キリスト教国」といわれる国であっても、実は偶像(ぐうぞう)崇拝(すうはい)が多く行われていたり、不正、あるいは不道徳なことがおおっぴらに闊歩(かっぽ)する国が多くある。

  近年、アメリカだけでなくフィリピン、日本をはじめさまざまな地域で、政治家の腐敗(ふはい)、堕落(だらく)の姿が取り上げられている。クリスチャンの立場から見ると、こんな堕落した政府に従う必要があるのだろうか、と疑うことが出てくる。私たちは「政府を敬う」というよりも、その国を治(おさ)めるという「権威、秩序(ちつじょ)、その枠組(わくぐみ)」を重んじる。

  堕落した「政府」、堕落した「政治家」を敬えということよりも、その「立場」を敬うのである。

        ( 続 く )

 
◎ 暗誦聖句 使徒行伝三章六節

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