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習志野バプテスト教会の週報

◆ ロマ書の学び(315)

▽ み言葉に生きる


  〝すべての人、上にある権威に服(した)がうべし。そは神 によらぬ権威(けんい)なく、あらゆる権威は神によりて立てら る。〟             ロマ書一三章一節

  どこからどこまで権威に従うか、また国家の権威がどれほどクリスチャンの信仰生活に影響をもたらすかということは大きな問題である。

  仮に政府が、トラクトを路上で配ってはいけないと法律で決めたとする。実際、多くの国がそういう傾向にある。フランスではトラクトを配ることは禁じられている。アメリカでは郵便ポストに教会の案内やトラクトを入れてはならないと法律で決まっているという。「私は伝道しているのだ。」と言っても、その国の法律は守るべきである。

  では、伝道できないかというと、そんなことはない。ポストに入れなくてもノックをして「ごめん下さい、教会の者ですが…。」と言って案内のトラクトを手渡せばよい。神様から知恵を頂き方法を模索すればよいのだ。

  人によっては携帯電話や、ファックスなどで心ならずも宣伝を聞かされた体験があるかもしれない。先日も、忙しい時に電話がかかってきて「お電話で失礼します。これは録音のテープです。」と一方的に宣伝を流してきたかと思うと、やたらにFAXもきて、教会のFAX用紙が知らない会社の宣伝のために次々と無駄になっていた。だからこういうやり方は、どうかと思う。

  もし、路傍でのトラクト配布を注意されたら、「政府がクリスチャンの信仰生活を妨害してきた。」と思うかもしれない。しかし、政府の禁止令はそういう意味でないこともある。駅前でトラクトを配ると、百人のうち六〇~七〇人はポイッと捨ててしまう。だから私達は駅前でトラクトを配る時には必ず袋を持っていき、拾ってから帰る。ホームで捨てられた物も駅員に断って、必ず拾ってくる。配った物が捨てられてゴミになり迷惑をかけてしまわないための配慮である。そのままにしていたらゴミになり、法律で「宣伝物を配るな。」となってしまうのである。

  みんなが、ちらかして汚いから法律で禁止するということなら了解できる。何もかもクリスチャンに対しての信仰の阻害であるとか、迫害と考えてはいけない。もしその条例、法律が、道が汚れるからということであるなら、私達も別の方法をとらなければいけない、ということだ。この場合は、信仰の良心に従って戦うことはしないで、可能な方法を探ればよいのである。  (続く)

 
◎ 暗誦聖句 ヨハネ第三 二節
〝愛する者よ、我(われ)なんじが霊魂(たましい)の栄(さか)ゆるごとく
 汝(なんじ) すべての事(こと)に栄(さか)え、かつ健(すこや)かならんことを祈る。〟

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