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習志野バプテスト教会の週報

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全てを御覧になる神様(英語BT翻訳(ほんやく)

「主の御目(おんめ)はどこにでもあり、悪人(あくにん)と善人(ぜんにん)とを見張(みは)っている。」 箴言(しんげん)一五章三節

 先日、私は何人かの子どもを連れてミニゴルフに行きました。私たちは一八ホールをプレーして、とても楽しい時間を過ごしました。その時の一つの出来事から、この聖句を思い出しました。九番ホールには、賞品(しょうひん)がかかっていました。①、②、③と数字が記された箱がありました。①の箱にボールが入れば、賞品がもらえます。残念ながら、私のボールは②の箱に入ってしまいました。ところが、驚(おどろ)いたことに、プラスチックのボールが機械から出てきて、「アタリ」と書かれていました。

 私は受付にそのプラスチックのボールを持っていき、「これは何かの間違(まちが)いです。私のボールは②に入ったのに、これが出てきました」と伝えました。マネジャーは、「あなたが何も言わなければ、誰も間違いに気付かなかったでしょうに」と言いました。私は少しの間考えてみました。確かに、私は賞品が欲(ほ)しかったです。しかし、ずるをして賞品をもらいたくなかったのです。ネージャーの他に、一人の子が、「カクラン先生、先生が何も言わなければ、誰も気がつかなかったでしょう」と言いました。確かに、私が正直に言わなければ、②にボールが入ったのに「あたり」が出てきたことは誰にも気付かれなかったかもしれません。また、もらえるはずのない賞品を手にしたことは誰にも分からなかったかもしれません。

 しかし、その考えは間違っています。私を御覧になっている方がいらっしゃるのです。聖書には、「主の御目はどこにでもあり、悪人と善人とを見張っている」と教えられています。私たちは神様に何も隠(かく)すことができません。神様は、私たちがする全ての事を御覧になっています。神様は、私たちの心の隅々(すみずみ)までご存知です。私たちは周囲の人々に自分の罪を隠すことができます。しかし、神様にはどんなに小さな罪も隠すことができません。聖書は、「すべての人は、罪を犯した」(ローマ三・二三)、「義人はいない。ひとりもいない」(ローマ三・一〇)と記しています。私たちはみな、罪を赦(ゆる)していただく必要があります。 イエス・キリストは私たちの罪のために十字架の上で死んでくださいました。イエス・キリストは、私たちのすべての罪を御覧になり、私たちを赦そうと願っていらっしゃるのです。イエス・キリストを信じて、お願いするならば、私たちの罪はすべて赦され、罪の刑罰(けいばつ)から救われるのです。今日、イエス・キリストを信じませんか。(マーサ・カクラン宣教師)

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