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習志野バプテスト教会の週報

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イエス・キリストの福音

イエス・キリストは世(よ)の救(すく)い主(ぬし)です。万(ばん)物(ぶつ)を造(つく)られたお方です(コロサイ一・一六)。人生の目当てがこのお方にあるなら、あなたの人生は必ず祝福されます。主(しゆ)イエス様は知恵と愛と力に満ちたお方です。私にとっての最善をご存(ぞん)知(じ)であり、それを願ってくださり、必要な力、助け、導きをお与えくださいます。

 聖書は神様からのお手紙です。聖書を初めて読んだのは、高校三年の時、米国テネシー州のホーム・ステイ先で個人伝道を受けた時です。「義(ぎ)人(じん)はいない。ひとりもいない。・・・すべての人は、罪(つみ)を犯(おか)したので、神からの栄(えい)誉(よ)を受けることができ(ない)」という神様のお言葉が私の心に迫(せま)ってきました。それまで私は、私に命をお与えくださった神様を知らず、私が神様との親しい関係を求めることをずっと待っていてくださった神様の愛を知らずに、自分を神として生きてきたのです。これは最も大きな罪です。当然、自分の満足のために、醜(みにく)いこと、汚(きたな)いこともしました。聖書は、「罪から来る報(ほう)酬(しゆう)は死です」と記しています。いつか自分も死ななければならない理由がわかりました。神様に背(せ)を向けて生きてきた私は、自分の罪のために死ななければならなかったのです。自分の真の姿と自分が置かれている状況が分かりました。

 感謝なことに、先の聖句にはそれぞれ続きがあったのです。「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵(めぐ)みにより、キリスト・イエスによる贖(あがな)いのゆえに、価(あたい)なしに義と認められるのです」(ローマ三・二三、二四)。
 「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜(たま)物(もの)は、私たちの主キリスト・イエスにある永(えい)遠(えん)のいのちです」(ローマ六・二三)。
 神様は、私の真の姿と同時に、その惨(みじめ)めな状態、恐ろしく危険な状態からの救出の道をお教えくださいました。「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」(ローマ五・八)。「神は、実(じつ)に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御(み)子(こ)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ三・一六)。
 私は、「こんな罪深い私を愛してくださるのですか。イエス様の十字架の死は私の罪のためであったことを信じ、イエス様を救い主として信じるだけで、罪が赦(ゆる)されて、天国へ行けるのですか」と驚きました。信じられないようなすばらしい知らせです。しかし、神様のお約束に間違いはないと信じ、私はその日、イエス・キリストを私の救い主として信じました。罪の中に死んでいた者が、イエス様と共に生きる者になったのです。イエス・キリストの福音以上にすばらしい「良い知らせ」はありません。

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