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習志野バプテスト教会の週報

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現会堂献堂記念日③(二千年五月二〇日)

 一九六五年一一月二三日、現在の会堂がある場所に会堂を献堂。新会堂の横にあった集会所(一九六三年一一月二三日に献堂)を、牧師ご家族が住めるように改造。途中から業者に依頼し、一九六六年一月に工事終了。一月末、丸山先生ご家族が教会敷地内に移動。

 一九六七年一一月、三澤隆男先生の按手礼(海神伝道)。一九七一年二月、齋藤雄典先生の按手礼(沖縄伝道)。習志野の地から、福音が広がっていった。  神様は、当教会の伝道も豊かに祝福してくださり、日曜学校および礼拝のために、増改築を何度も行ってく。一九七三年五月、二階を増築(一五坪)。一九七七年八月、一階ベビー・ルーム増築。

 米軍基地内にあった将校の宿舎を半分切り取って、建てたこの場所での最初の集会所(一九六六年から牧師家族の住まいとして利用)を一九八二年に取り壊し、教育館および牧師館を建築。同年八月に献堂。現在の会堂とつながっている教育館・牧師館は三五年目になる。きれいに使っているので、そんなに経っているように見えないが、水回りなどをはじめ、補修が必要な箇所が出てもおかしくない。教育館・牧師館を献堂した翌年(一九八三年)から、新会堂建築のための信仰約束献金を始めた。

 一九六五年一一月二三日に献堂した会堂(旧会堂)は、一九八五年六月、入り口その他の増改築を行った。

 一九八八年二月より、新しい会堂(現会堂)のために具体的に検討開始。①現在の場所か、②他の場所に移るか、③牧師館を他の場所に求め、現在の土地を広く使って会堂を建てるか、は大きな決断であった。現会堂が出来上がるまでのことは、『献堂のしおり』(二〇〇〇年五月)にまとめられている。神様の大きな御業(みわざ)の軌跡(きせき)である。一部を記せば、二〇〇~二五〇人収容の礼拝堂を可能にする設計者、手抜きを一切(いっさい)許さないクリスチャンの現場監督、教会の必要を理解した音響工事者、費用削減のために材料を米国から輸入する業者など、必要な人々を神様はお与えくださった。

 一九八三年から新会堂のために信仰約束献金を始めていたが、必要額は大きく、資金不足であった。しかし、ビルディング・バスケット、教会債の発行、有志による備品献品と作成によって、すべての必要が満たされた。教会債の返済も、大変な時期が続いたが、すべて約束の期限内に返済が終わった。二〇〇〇年二月二七日(日)の関係業者をお招きしての感謝礼拝と感謝会、同年五月二〇日(土)の献堂式、二一日(日)の献堂記念コンサートは、教会員それぞれにとって大きな喜びの日であった。

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