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習志野バプテスト教会の週報

ローマ人への手紙(十七)

「というのは、不義によって真理を阻(はば)んでいる人々のあらゆる不敬虔と不義に対して、神の怒りが天から啓示(けいじ)されているからです。」   ローマ一章一八節

 一八節以下には、イエス様を信じるきっかけとなった罪の問題が描(えが)かれています。「人はなぜ人を殺してはいけないのか、人はなぜ救われなければならないのか」。イエス様を裁(さば)いたピラトは、「真理とは何か」、「人間の生命とは何か。人間はなぜ裁きを受けなければならないのか」と問いかけています。

 「神について知りうることは、彼らの間で明らかです。神が彼らに明らかにされたのです。」ローマ一章一九節

 子どもの頃、私の家には神棚(かみだな)、仏壇(ぶつだん)、荒神(こうじん)さまと、いくつもの偶像(ぐうぞう)が家の中に一緒にまつってありました。考えてみれば、おかしなものです。神道(しんとう)の教えに従って神棚に手を合わせる一方、仏壇に亡くなった人をまつるのです。仏教は神の存在を否定し、神道は神々の存在を肯定(こうてい)しています。一軒(いつけん)の家で生じている矛盾(むじゆん)に気づかないのです。日本の家庭は暗闇(くらやみ)の中にあると言えるでしょう。

 みなさんも、災い、病気などの時、しらずしらずのうちに何かに守られているのだな、何か目的があって、生かされているのだなと感じたことがあるでしょう。「目に見えない力を持つ方がいるに違いない」と。私の場合、そうしたことが、神様を求めるきっかけとなりました。青年時代は色いろと考えるし、誘惑もあります。たえず信仰について考えていたわけではありませんが、「生命とは何だろう。自分はなぜ生かされているのか」と考える時がありました。「もし超自然的な力を持つ神がいるなら、神の力を利用したい。ご利益を求めて神を利用したい」という思いにうなされることもありました。

 テレビである有名な学者が言いました。「世界をお治めになる全能の方を何かの形で認めることが、人間には必要である。認めなければ、世界は戦争の火で焼かれてしまう」と。日本人を含める多くの科学者は、「この世の中を救うためには、何らかの形で神を認めなければならない。人々は、殺りくに殺りくを繰り返す。やがて地球は滅んでしまう」と言っています。

 クリスチャンでない人は次のように言います。「もし神がいなければ、自分たちで神を作らなければならない」と。今から二〇年前の話です。これが科学者の出した答えであり、人々が世界平和を求めて考えた結論でした。しかし、人間が浅はかな知恵で、神々を作る必要はないのです。すでに神様は、一人一人に生命を与えてくださったのです。(続く)

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