FC2ブログ

習志野バプテスト教会の週報

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

ローマ人への手紙(十四)

 「福音(ふくいん)には神の義が啓示(けいじ)されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです」  ローマ一章一七節

 「義人は信仰によって生きる」と使徒パウロは言いました。この大変有名な、キリスト教信仰の中心といえる言葉は、旧約聖書に記されています。ある教会は、クリスチャンにとって、新約聖書だけが信仰の基盤であると言っています。しかし、そうでしょうか。

 旧約聖書の最初の書である創世記から新約聖書の最後の黙示録にいたるまで、すべてが神様の霊感をいただいた書物です。新約聖書だけではイエス様の生涯とみわざを理解することはできません。また、旧約聖書だけでは、いまだにメシアの到来(とうらい)を待ち望む状態にあるといえます。旧約聖書のすべての預言は主イエス・キリストの生涯とみわざを表わします。旧約聖書と新約聖書を切り離して別々に考えることは、聖書の基本的な教えから、外れていることになります。旧約、新約両方を合わせた六六巻の聖書が、クリスチャンの信仰生活の土台です。

「わたしの義人は信仰によって生きる」(ヘブル一〇・三八)。

 創世記の中に、信仰の父と呼ばれるアブラハムの生涯をみることができます。彼ははじめから「アブラハム」という名前ではなく、最初は「アブラム」という名前でした。彼は異邦人の地に住み、父親は偶像崇拝の信者でした。神様はそのような中から、このアブラハムをご自身がお示しになる約束の地に導かれました。神様を信じる者たちは、信仰によって生き、信仰によって神の御前で正しいものとされることを私たちは学びます。

 「というのは、不義によって真理を阻(はば)んでいる人々のあらゆる不敬虔と不義に対して、神の怒りが天から啓示されているからです」(ローマ一・一八)。

 この一七、一八節は密接な関わりがあります。神様に喜ばれる人生が一七節に記され、神様から罰を受けなければならない人については一八節に記されています。神様に義と認められた人と、罪の中に生き続け、罪を赦されずに生涯を終える人とのきわだった対比です。

 神様は人間が救われる道をご用意くださいました。荒れすさんだ心で、堕落(だらく)しきった生活をおくっている人間のために、神様の側で、神の厳しい裁きから逃れる道を備えてくださったのです。イエス様がこの世に遣(つか)わされたのは、そのためでした。人間の情感は、手の施(ほどこ)しようがない状態で、望みのない姿です。また、神様の恵みなくして一日たりとも生きることのできない状況にあります。(続く)

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。