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習志野バプテスト教会の週報

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ローマ人への手紙(十三)

 「私は、ギリシア人にも未開の人にも、知識のある人にも知識のない人にも、負い目のある者です。ですから私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです」 ローマ一章一四節~一五節

輸血(ゆけつ)をしなければ死んでしまう患者(かんじや)がいて、献血(けんけつ)された血をその患者に運ばなければならない責任を持っているのが、私たちクリスチャンです。

輸血用の血を運ぶために、医療用の緊急(きんきゆう)自動車があります。ドアに赤い十字のマークが入った車です。輸血には一刻(いつこく)を争(あらそ)うことがあります。輸血を待っている患者に「私たちは疲れているので、昼寝をしてから行きます」とは言えません。手術で大量の出血をしている患者は、今すぐ輸血が必要です。その輸血用の血液を運ぶのが私であり、クリスチャン一人一人だということを覚えましょう。そうすれば、〝私はすべての人に対して負い目がある〟というパウロの言葉の意味がわかってくるでしょう。

 神様はすでに、イエス・キリストの十字架を通して、私たちに救いの道をお示しくださいました。私たちはそのイエス・キリストの血によって罪の力から解き放たれたのです。今度は私が、あなたが、キリストの血を必要とする人のところにそれを携え持って行かなければならないのです。

「私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報(むく)いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです」               Ⅱコリント五・一〇

「というのは、キリストの愛が私たちを捕らえているからです。私たちはこう考えました。一人の人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである、と」           Ⅱコリント五・一

「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。これらのことはすべて、神から出ています。神は、キリストによって私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました」Ⅱコリント五・一七、一八

 年長者も若者も幼い子どもも、全ての人間は、神様のさばきの座の前に立たなければならない時が来ます。使徒パウロはこのコリントの地域にいたクリスチャンたちに書きました。

「イエス・キリストの愛が私に迫ってきている。私はその愛で押しつぶされそうである。早くイエス様のこの愛を人々に伝えなければならない。自分は新しく創造られたものであり、神と人間との和解の使者、大使、メッセンジャーである」と。
 福音宣教は一刻をあらそう働きなのです。(続く)

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