FC2ブログ

習志野バプテスト教会の週報

神をおそれよ(2)

▽「(主は)主を恐れる者を祝福してくださる。」(詩篇一一五・一三)
   


  この週報をお読みになっている皆さんはどのようにして毎週の週報を保管なさっているのであろう。パンチで穴をあけて綴(と)じる方、封筒に入れる方、特に保管はしない方、様々であろう。方法はどのようであってもよいが、おすすめしたいことが一つある。時々、過去の週報を読み返していただきたいのである。自分で書いているのだから、変に聞こえるかもしれないが、過去の週報を読んでいながら多くのことを教えられるのである。書いていた本人でさえ、その時に理解できていなかった御言葉の素晴らしさに気がつき、感動し、驚くのである。このような前置きをして、私が週報を担当し始めた二〇一二年一月からの原稿をそのまま、あるいは一部手直しをして掲載することをおゆるしいただきたい。実は、先週号からである。神様をおそれる、というテーマは非常に大切である。    

 聖書はいつの時代も「最先端」であり、人々の必要を満たす。変わることのない神様のお言葉を宣教する方法は、時代によって変わってよい部分と変わらなければならない部分があるだろう。ただし、妥協(だきょう)は神様のみ心ではない。    

神様は、私たちが新しいプログラムを始める前に、一つの大切なことを教えてくださった。Ⅱ歴代誌一六章九節は、「神様が求めていらっしゃるものは、新しいプログラムではなく、神様のお心を自分の願いとする人(すなわち、神様がご自身のお力を自由に表すことのできる人)である」と教えている。私たちは、神様に信頼して力を頂くよりも、プログラム(自分たちの考え)に頼ってしまう弱さがあるので、この学びが必要であった。    

 今年も、「神を恐れよ」ということを教えられている。ソロモン王を通して、神様は「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(伝道の書一二章一三節)と教えてくださっている。私たちは神様を恐れているだろうか。そもそも、神様を恐れるということを正しく理解しているだろうか。    

私はボブ・ジョウンズ大学で勉強している時に、神様を恐れるのではなく、人を恐れるという失敗をした。神様に対して大変申し訳ない気持ちで一杯だった。罪を悔い改め、二度と同じ失敗をすることがないようにと神様に祈った。神様は、その罪を赦してくださり、神を恐れることについての学びをお与えくださった。    

 神様はこの学びをするようにと導いてくださっている。人間にとって「すべてである」という神様のご命令を、もう一度ご一緒に学んでいきたい。(続く)    

   

  ◎ 暗誦聖句  エペソ書四章三二節
〝 汝(なんじ)らも互(たがい)に赦(ゆる)せ。 〟

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する