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習志野バプテスト教会の週報

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ローマ人への手紙(六)

「私は、ギリシア人にも未開の人にも、知識のある人にも知識のない人にも、負い目のある者です」 ローマ一・一四

《負い目のある者》
パウロは「I am a debtor(アイム ア デター)」と言いました。英語の「debt(デツト)」は負債(ふさい)、借財(しやくざい)のことですから、「私は負債を負っている者です」という意味になります。簡単に言えば、「私は借金がある」という意味です。

仮に、私がある兄弟から百万円の借金があり、明日、耳をそろえて返さなければならないのに、手元にお金がないとします。その兄弟が向こうから来ます。私は挨拶(あいさつ)もそこそこに、恥(は)ずかしさのあまり、背を向けるようにして逃げて行くことでしょう。多額の借金があると、そういう負い目を感じるのです。パウロは当時の文化人と言われたギリシャ人に対しても、未開人に対しても、賢い者にも愚かな者に対しても、負い目がある、借財があると言ったのです。「イエス様を知らず、神様を知らない人達に対して、負い目がある。何とかしてこの借りた分をお返ししなければならない」という思いをパウロは持ったのです。

パウロは実際に借金をしたのでしょうか。借金はしていません。それにも関わらず彼は、まだ神様のことを知らず、救われていない人たちに、素晴らしいイエス様の愛と憐(あわ)れみを伝え、天地万物の創造主なる神様の恵みによって永遠の命を頂くことが出来るようにと、イエス様をのべ伝える責任があると言ったのです。

宣教師となって外国に行く先生たちも、パウロのような思いを持っているはずです。日本に宣教師としていらっしゃった先生たちは、「私はどうしても日本人に伝えなければならない神様の素晴らしい福音がある。人間を罪の滅びの中から救い出すためのイエス様のメッセージをお伝えしなければならない」という使命感を持っているのです。そういう意味で、宣教師は宣教地の人人に対して「私は重荷があります」と言います。重荷があるので、宣教師は、人人が救われるまで祈り、証を続けます。先に救われた者として、私たちも、滅びの中にいる人々のために祈り、負い目を負った者として、日々、イエス様の証をしようではありませんか。何とかして、一人でも多くの人に福音を伝えようではありませんか。(続く)

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