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習志野バプテスト教会の週報

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ローマ人への手紙(五)

「福音(ふくいん)」は、旧約時代の預言者にとって、大きなテーマでした。

ローマ人への手紙を見ると、イエス・キリストこそ、福音の中心テーマであると分かります。キリスト教の影響(えいきよう)は、日本でも色々なところで見られます。その証拠(しようこ)に、歪(ゆが)められ、本来の意味から脱線した使い方ですが、「福音」という言葉が使われています。「肥満(ひまん)で悩(なや)む方、高脂血症(こうしけつしよう)で悩む方に福音!」「透(す)き通るような白い肌(はだ)になりたい人に福音!」はその例です。聖書が言う福音は、単なる良い知らせではなく、「神様が人類を救うためにお与えくださった良い知らせ」です。「良い知らせ」という言葉から言えば、日本人が使う「福音」でも悪くないのですが、聖書で言う「福音」は、救われるはずのない罪人(私たち)が、救われるという、すごく良い知らせなのです。ですから、日本人が使う「福音」と聖書が示す「福音」には全く違った意味合いがあるのです。

パウロはこの神の福音のために「選び出され」、この福音のために神様にお仕えするようになったのです。覚(おぼ)えていただきたい、大切なことは、「従う」ということと、信じる「信仰」ということです。

「従う」ことと「信仰」とは多くの場合、ぴったりとくっついた言葉です。私はイエス様を信じますと言う時、イエス様に従っていくことを表します。頭ではイエス様を信じると言っていながら、心では違うことを考え、別のことをしているならば、それは信仰の本来の姿ではありません。聖書を読み、神様に祈り、それぞれに豊かな祝福をいただいていきましょう。
この短い冒頭(ぼうとう)の聖句から教えられることは、イエス様を信じる者は、パウロのように、自(みずか)らを神様の僕(しもべ)として捧げ、「神様、あなたの御心のままに私をお使い下さい」と自分自身を明け渡すべきことです。この服従(ふくじゆう)する心こそが、祝福の第一歩です。

人間の親は、感情のおもむくままに子どもを叱(しか)ったり、殴(なぐ)ったり、あるいは追い出したりすることがあります。しかし、神様はそうではありません。私たちが奴隷のように、身を低くして神様にお仕えするなら、放蕩(ほうとう)息子を迎えた父親のように、神様は私たちをお迎えくださいます。御馳走(ごちそう)を作り、指輪をはめ、新しい靴(くつ)と衣服を着せてくださり、「私の息子よ」と大きな愛をもって私たちをお迎えくださるのです。(続く)

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