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習志野バプテスト教会の週報

聖歌総合版 四六三番 神なく望みなく

一、神なく 望みなく さまよいし我も 救われて   主を誉(ほ)むる 身とはせられたり
(コーラス) 我知る かつては盲(めしい)なりしが
       目あきとなり 神を誉む 今はかくも
二、かつては罪のため 心は曇(くも)りて 迷いしが
  今は目も 全(また)く開きたり  (コーラス)
三、栄えの君にます 主は我にとりて 我が誇り    我が望み また我が全てぞ (コーラス)
四、なさばやこの一事 後のもの忘れ
  先のもの 望みつつ 勝利を得るまで(コーラス)

 主イエス・キリストに見捨てられてしまったような気持ちになったことがありますか。すなわち、主の愛に満ちたご配慮(はいりよ)が見えず、全ての問題を一人で背負っているかのようなときを経験したことがありますか。

 フランク・グラエフ牧師は、深く暗い谷を歩き、胸が張り裂(さ)けるような苦しみを経験しました。グラエフ師は、その時のことを後に、「敗北と絶望の気持ちで押しつぶされた時」と表現しました。グラエフ師はさらに、「しかし、この経験を通して、喜びと勝利に満ちた人生を手にしました。絶望で心が沈(しず)んでいたとき、私を気にかけてくださるお方、私の心の痛みと悲しみをご存知のお方、決して私を捨てないとお約束くださり、私の重荷(おもに)を負ってくださるお方、すなわち、私の主イエス・キリストから目を離してしまっていたのです。

 バンヤンの『天路歴程(てんろれきてい)』に出てくる「絶望の沼」にはまり、日に日に深みにはまっていくようでした。ある日、とうとう、もう立っていられない状態になりました。人生の終わりを覚悟(かくご)しました。この究極的(きゆうきよくてき)な状態にあって、ある曲が口から出てきました。七五年前に同じような苦しみを経験したジョセフ・スクリーヴェンが書いた罪(つみ)咎(とが)を荷(に)のう 友なるイェスに 打ち明け得るとは いかなる幸(さち)ぞ 安(やす)きの無き者 悩(なや)み負う者 友なる イェスをば 訪(おとず)れよかし(聖歌総合版六五一番)

という歌でした。私はもう一歩も進めませんでした。膝をついて祈りました。心にかかっていた全ての重荷を主イエス・キリストに注ぎだしました。失っていた平安が洪水のように押し寄せてきて、私の魂(たましい)をおおいました。私の魂は言葉では表現できない喜びと栄光で満たされました」と証しています。

 リバイバルされたこの説教者は「私を心配してくださるお方を知っています。私の救い主は私をお心にかけてくださいます」と叫んだそうです。このような経験をしたグラエフ師の心からあふれ出てきた詞(『神なく望みなく』一九〇〇年)は多くの人々を励まし、祝福となってきました。あなたのことを心配してくださる主(しゆ)をみつめましょう。(A・スミス著の要約)

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