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習志野バプテスト教会の週報

主は生く(勝利の歌Ⅰ 八〇番)

一、甦(よみがえ)りし主(しゆ) 今(いま)世にあり よしや世の人 何を言うも 恵みの御手(みて)と御声(みこえ)をもて 常(つね)に親(した)しくまします(コーラス)

 見よ 主は今 生き給(たも)う 我(われ)と もの語(かた)り 共に歩む 見よ 主は今 生き給う 何処(いずこ)にと問わば 我(わ)が心に

二、喜び歌え 声をあげて とこしえの主(しゆ)を褒(ほ)め称(たた)えよ
 呼(よ)ばば応(こた)えて 助(たす)け給う 実(げ)に類(たぐい)なき主(しゆ)の愛

 一九三二年イースターの朝、カリフォルニア州にある長老教会牧師アルフレッド・アックレイ師は、ラジオを聴(き)きながら教会に行く準備をしていた。当時ラジオは最大の情報源であった。地元に関する番組を聞いていると、急にアナウンサーが「これからニューヨークで行われる赤と青(現NBCとABC)放送局の特別番組をお伝えします」と言った。特番の講演者は自由主義で知られるニューヨーク出身の有名な説教者であった。「お早うございます。今日は復活祭です。皆さんご存知のように、キリストが甦(よみがえ)られたかどうか、私にとってどうでもよいことです。イエスのお体はパレスチナのどこかにある墓(はか)の中で、すでに塵(ちり)と化しているでしょう。私にとっての関心事は、イエスの真理は人々に影響を与え続けるということです」と話した。アックレイ師は「それは、うそだ」と叫(さけ)んだ。

 アックレイ師が私に語ってくださったことである。何の役にも立たないこの説教者の「キリストが甦られたかどうかは何の意味もない」との言葉が心に残り、そのイースター礼拝では、これまでになく熱く説教した。それから数週間、ユダヤ人の青年と関わりをもった。「なぜ、私たちは死んだユダヤ人を礼拝しなければならないのか」と言うのだ。私は「それこそ重大な点で、イエスは死んで終わりではなく、今も生きておられる」と答えた。

 偽りの説教者は、初代教会に力を与えてきた復活の力を一撃(いちげき)で破壊(はかい)しようとした。多くの人は復活なさったイエス様のために命をかけてきたのである。キリストの復活とその説教者の偽りについて、夕拝でも説教した。しかし、伝えたかったことの一部であった。妻は、「今こそ、できることは何でもすべき時です。主の復活について歌を作ったらどうですか。

 心も軽くなり、復活の事実を人々に伝える働きとなるでしょう」と言った。私は書斎に行き、復活の記事をもう一度読んだ。「あの方はよみがえられました。ここにはおられません」(マルコ一六・六)。私の魂は震えた。栄光に満ちたこの時の経験は忘れられない。復活の主が、この時も、共にいてくださるという事実を考えていると、次々に相応(ふさわ)しい言葉が与えられ、短時間で詞を書き終えた。復活の主に対する思いが、それぞれの章節にぴたりとおさまった。ピアノの前に座ると、コーラスの言葉とメロディーもすぐに与えられた。(アルフレッド・スミス著からの要約)

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