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習志野バプテスト教会の週報

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われいのちを(聖歌総合版一一一番)

一、我(われ)命(いのち)を汝(なれ)に与え  血に 汝(な)が身を 清く為(な)して
 死と黄泉(よみ)の手より汝(なれ)を解きぬ 如何(いか)なる物もて汝(なれ)応(こた)えし
二、我は父の神の許(もと)を去りて 暗き地に下れり
 栄えも位(くらい)も我(われ)捨てたり  何物(なにもの)を捨てて汝(なれ)応(こた)えし
三、汝(な)が罪(つみ)ゆえ我は打たれ  汝(な)が不義(ふぎ)ゆえ我砕(くだ)かる
 十字架の悩みは汝(な)が為なり 如何なる事もて汝(な)れ応(こた)えし
四、全(また)き救い 愛と赦(ゆる)し 我は買いて 汝(な)が物とす
 この良き賜物(たまもの)受けし汝(なれ)は 如何(いか)なる応(こた)えを我に為(な)すや(フランシス・ハヴァーガル作詞、P・ブリス作曲)

 「また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」  Ⅱコリント五・一五

 「もっとも美しい賛美の歌声」とも言われるフランシス・R・ハヴァーガルは、一八三六年一二月一四日、英国ウスターシャー州アストリーに生まれた。イングランド教会牧師ウィリアム・ヘンリー・ハヴァーガル師の末っ子であった。彼もまた、有名な詩人であり、教会音楽家であった。フランシスは、その生来(せいらい)の才能に加えて、語学と音楽においても、徹底的な訓練を受けた。彼女は高等教育を受け、教養のある人であったが、主に対する単純な信仰と確信を持ち続けた人であった。彼女は祈ることなしに、詩を一行でも書くことがなかったと言われている。彼女の全生涯は、キリストを常に第一とする生活によって特徴づけられている。虚弱(きよじやく)な健康状態が常(つね)であったにもかかわらず、四三歳で召されるまで、意欲的で実り多い人生を送った。

 フランシスは、ドイツのデュッセルドルフで学ぶ機会があった。その町の美術館に、シュテルンベルクが描いた有名な「エッケ・ホモ」と題された、いばらの冠(かんむり)をかぶってピラトとユダヤの群衆の前に立たれるキリストの鮮烈(せんれつ)な肖像画(しようぞうが)が展示されている。その絵の下には、「わたしは、あなたのために、このようにしました。あなたは、わたしのために何をしますか」と記されている。

 この美術館を訪れ、この絵を見たフランシスは非常に感動した。その絵をかなりの時間見つめていた。彼女は、鉛筆(えんぴつ)を取り出し、メモ用紙にこの賛美歌の詩をあっという間に書き留めた。後に、彼女は英国の生家を訪れた際、その急いで書き留めた詩に再度注目した。しかし、その詩はあまりに拙(つたな)いと感じ、ストーブにその紙をくべた。しかし、その紙切れは、炎から床の上に転がり落ちたと言われている。そして、それを彼女の父が発見した。父親はその詩を残すように娘を励まし、その詩に最初の曲を作曲した。

 私たちが歌っている聖歌の曲は、米国の福音賛美歌作曲者フィリップ・P・ブリスによるものである。 ("101 HYMN STORIES by Kenneth W. Osbeck" の要約)

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