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習志野バプテスト教会の週報

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人生のリフォーム(英語版BT翻訳)

 アン・カイザーという女性が書いた面(おも)白(しろ)い記事をご紹介したいと思います。

  告白するが、我が家の大掃除は上手くいっていない。季節が変わろうとしているが、夫と共有している納(なん)戸(ど)を片づけようという思いすらわいてこない。昨年の春は色々な行事があり、その結果、想像もしないような結末が待っていた。夫のルイはなかなか物を捨てない。彼の着古したシャツやズボンを見て、「新しいの買ったら」と言っても、彼の答は「まだ着れるよ」なのだ。納戸を片付けながら、捨てる物、バザーに出すものと分けていた。夫のものもいくつかバザーに出すことにした。これで、夫のものも少し処分できたと思った。私が彼のものをバザーに出したことに、夫は気がついていない様子だ。数週間後、夫は、掘り出し物市に行こうと言った。私は雑貨コーナーを見ていたら、夫はにこにこしながら私の所に来た。何か買い物をしたようだ。夫は満足げに「エミー、見て。僕にぴったりのサイズのズボンを二本も見つけたよ」と言った。バッグの中をのぞき込み、私は大笑い。もう、お分かりであろう。夫は気がついていないが、これまで自分がはいていたズボンを買ったのであった。

 この記事は、納戸を片付けようとしたのに上手くいかなかったという面白い記事でした。しかし、キリストを救い主として信じることなしに、自らの人生をきれいにしようとするなら、大変なことになり、面白い話しではありません。英語では、自分を変(へん)革(かく)しようとする人を意味するのに、いくつかの表現があります。 「Clean up his act」(自分の行為をきれいにする)とか、「Turn over a new leaf」(新しいページをめくる)あるいは、「Pull himself up by his own bootstraps」(ブーツを履(は)くときにつまむ部分をもって自分を引き上げる)のように言います。

 自分の罪を処分できる人はいません。自分の心を自分できれいにすることはできません。イエス・キリストは、マタイ一二・四三~四五において、神様の助けなしに自分を変えようとした人についてお話になりました。その人に起こったことを見てみましょう。

 「汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜(さが)しますが、見つかりません。そこで、『出て来た自分の家に帰ろう。』と言って、帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みなはいり込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。」

 あなたはいかがですか。キリストをあなたの救い主として信じることなしに、自分の人生をきれいにしようとしていませんか。イエス・キリストを救い主として信じる必要がありませんか。(カクラン宣教師)

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