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習志野バプテスト教会の週報

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人生の行きつく先 (英語版BT翻訳)

 「あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。」(詩篇一六・一一)

 私は行き先について考えるのが好きです。ティーンネージャーの頃、フィラデルフィアの長(ちよう)老(ろう)派(は)病院が、キャンディーの包みをむくヴォランティアを募集していました。私は立候補しました。そこに行くためには、フランクフォードの高(こう)架(か)鉄(てつ)道(どう)に乗らないといけませんでした。どんなものを目にするだろうと想像を膨(ふく)らませていました。

 「美しい町かしら」、「フィラデルフィアに典(てん)型(けい)的(てき)な列(れつ)になった家がたくさんあるのかしら」、「ごみや散(さん)乱(らん)物(ぶつ)、そして悪(あく)臭(しゆう)でがっかりするかしら」などと想像していました。結局、フランクフォードに行きませんでした。しかし、このことをきっかけに、行き先について関心を持つようになりました。私は面白そうな脇(わき)道(みち)や通りを見ると、好(こう)奇(き)心(しん)が働いて、その道の先には何があるのだろうと想像し始めます。

 来日後最初の二年間、日本語学校に通うため、週に五日は電車に乗りました。家に戻るとき、千葉行きの快速電車に乗りました。私が利用していた駅は、千葉駅から二つ先にあり、千葉駅で銚(ちよう)子(し)行きの電車に乗り換える必要がありました。銚子行きの電車は古く、床が古い木の電車でした。銚子まで二時間走る電車でした。私はいつも二駅目で降りたのですが、銚子はどんな所かしらと想像していました。一〇年後、銚子に行くことにしました。

 いつもの電車で、終点まで行きました。海岸沿いの岩、太平洋に面したすてきな砂浜、活気に満ちた魚市場、美しい灯(とう)台(だい)、後ろに富士山を見ながら日の入りの光景を目にしました。海を見渡せるすてきな家に住んでいるご夫婦と知り合いになりました。お二人は陶(とう)芸(げい)家(か)でした。「わたしは私」と日本語で書いてある湯飲みを使っていました。上楽(うわぐすり)をかけて、ご自分で焼いた物でした。このご夫妻に神様の愛について証することができました。銚子は私の思いをはるかに超えたすてきな所でした。それから何回も銚子に行っています。

 箴(しん)言(げん)一四・一二に「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である」と記されています。キリストを救い主と知らず、信じていない人たちが行き着く所を知ると悲しくなります。彼らの進む道は広いです。しかし、混乱、孤独、そして危険な崖(がけ)で一杯な道であり、先のない行き止まりが待っている道です。彼らの行き先は、死であり、破(は)滅(めつ)です。

 クリスチャンである私たちは狭(せま)い門を通りました。この道の先には、曲がりくねっていて、困難が待っているかもしれません。しかし、行き着くところがどのような所かを知ることは素晴らしいです。私たちが進む道の終点は、想像を超えてすばらしく、主イエス様を拝する所です。これは命への道です。「正義の道にはいのちがある。その道筋には死がない」(箴言一二・二八)。      (マーサ・カクラン宣教師)

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