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習志野バプテスト教会の週報

私達と共にいてくださるキリスト(翻訳)

 「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。」(Ⅰペテロ一・八)

 「ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜び」について考えると、いつも心が躍(おど)ります。このような喜びは、何らかの外的要(よう)因(いん)によってもたらされる感情や心の持ちようではありません。この気持ちは、イエス・キリストから与えられるものであり、心の中から絶えず溢(あふ)れ出てくるものです。イエス・キリストが私たちの心の中にいらっしゃる時にのみ与えられるものです。

 日本では、元旦はとても重要な祝日です。この日の早朝、私の家の近くにある神社で鐘(かね)が四〇回なります。仏教の寺と神道の神社の鐘には、複雑な模様があります。鐘の外側は、美しい模様に鋳(ちゆう)造(ぞう)されていますが、鐘の内側には何の模様もありません。鐘の脇(わき)には、丸太がロープで吊(つる)されています。僧侶はロープを引いて、鐘に向けて丸太を打ち、悲しみに満ちた残響を引き起こします。新年が始まるというよい知らせを伝える代わりに、キリストを信じていない人々と宗教の虚(むな)しさと希望のなさを要約している音を響かせています。その音を聞いていると、憂(ゆう)鬱(うつ)な気持ちになるので、大(おお)晦(みそ)日(か)の晩は、深夜一二時前に寝るようにしています。

 寺や神社の鐘とは対照に、教会の尖(せん)塔(とう)から聞こえる鐘の音は喜びに溢れているように思います。鐘の中にある音を響かす部分によって、鐘は、積極的で、励ましと希望に満ち、気持ちを高め、言葉に尽くすことのできない喜びに満ちた音色をとどろかせます。心の中にキリストを持つ者の気持ちであり、とてもすばらしいために言葉では表現ができない喜びです。
 イエス・キリストが共にいてくださるので、イエス様との正しい関係を維(い)持(じ)するなら、喜びは日毎に新しく与えられます。
 イエス・キリストが共にいてくださるので、私たちの周りにいる人々を勇気づけ、励まし、そして彼らに仕えることができるように、溢れるばかりに喜びが与えられます。

 「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。」 ヨハネ一五・一一 (マーサ・カクラン宣教師)

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