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習志野バプテスト教会の週報

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嗣業の地を手にするために一致が必要

 二〇一七年夏期キャンプのメッセージ(山宮先生)の続きです。今日は第二集会メッセージです。

 「しかし、あなたがたは登って行こうとせず、あなたがたの神、主の命令に逆らった。」申命記一・二六

 「しかし」という言葉は、いつ使うかが大事である。首記の聖句の「しかし」は、一民族の方向を決めるものであった。ヨシュアとカレブの使い方は、「約束の地にいる敵は強い。しかし、主が私たちと共におられる。主を信頼して行こう」であった。あなたは、どのように、「しかし」を使っているであろう。一〇部族の族長は、「約束の地は良い地である。しかし、そこには強い、大きな敵がいて、私たちは攻めとることができない」と言って、神様を疑い、天幕の中で呟いた。

 「全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした」(民数記一四・一)。不信の声、落胆の声は勇気を与えない。そして、それは他の人に伝染する。不信と落胆は群衆に広がっていった。一〇人の族長の態度、言葉、行動は全会衆に大きな影響を与えた。  ペテロはイエス様を三度否定した。しかし、主はペテロをお捨てにならず、復活後ペテロにも現れてくださった。網も舟も捨ててイエス様に従ったペテロであったが、ヨハネ二一・三で「私は漁に行く」と言った。ペテロの言葉を聞いた他の弟子達はペテロについて行った。あなたの言葉や行動も他の人に影響を与える。

 聖書は真理の御言葉である。真理に触れたときに、あなたはどのように反応するのか。聖書はどのようにあなたに影響を与えるであろうか。自分の弱さと罪深さを悔い改めるであろうか。ステパノが神様のみ言葉を語ったとき、人々は反発し、ステパノを殺した。あなたは、真理に接したとき、どのような心を持つか。真理を語る者を殺さずとも、排除しようとするか。

 イスラエルの民は、約束の地に入るまでに四〇年間荒野を旅しなければならなかった。私たちも、「しかし」をいつ使うかによって、幸いな人生をおくることができるし、無駄な人生を送ることにもなる。

 モーセも、約束の地に入ることができなかった。呟く民にモーセは「逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から私たちがあなたがたのために水を出さなければならないのか」(民数記二〇・一〇)と言った。民に水をお与えになるのは、モーセではなく、神様であった。自分の力で生きることをやめよう。努力によって神様のお働きをすることをやめよう。疲れ果ててしまい、長続きしない。では、どうしたらよいのであろう。「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい 」( Ⅱテモテ二・八)が答である。イエス様を思って、力をいただくのである。いつも、イエス様を思うことが必要である。 (続く)

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