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習志野バプテスト教会の週報

ローマ人への手紙(三五)

 バプテストの有名な聖書学者だったジョン・ブローダス師は、「伝道集会を持つ時には、必ず『神様とは、いかなるお方か』ということを一週間でも二週間でも徹底的に示すように」と言ったとのことです。つまり、「God」とか「天帝」としても、「創造主」については全然、人間にはわからないということです。

 英語では、人間が作った通常の神々は小さい文字で「gods」と書き、聖書に書かれた「唯一絶対の神様」のことは大文字でGと書き、それからodと書きます。こういう風に区別はしていますが、それが文字でわかっても本当の意味で聖書の全能の神様のことは人間には理解できないのです。

 第一コリント二章一四節で「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません」と聖書は書いています。私たちが聖書の御言葉を素直に受け止め、神様から霊的な導きをいただかなければいけない理由です。

 キリストの十字架を仰ぎ見ることによって、初めて私たちは「新しく生まれる」、「新生(しんせい)」という経験をし、そして神様の聖霊の内住をいただきます。つまり、神様のことは聖霊の助けをいただかなければ人間には絶対に理解不可能なのです。漢字の問題、言葉の問題だけではなく、「霊」の問題なのです。

 人間は{Spirit (霊)/Soul(精神)/Body(肉体)}の三つの領域から成り立っています。

 日本語では「心」という表現を使って、心と霊をごちゃごちゃにして使っています。「心」というのは、人間の精神の部分で、いわゆる「Soul」の部分です。しかし、聖書で取り扱うのはsoulという「心の部分」ではなくて、人間を生かす目に見えない「霊の部分」で、しかもこの「霊」は永遠に生き続けます。神様のさばきの中に生き続けるか、それとも永遠に神様と共に生きるか、という領域であるわけです。

 肉体bodyは朽ち果てます。しかし、霊の部分はいつまでも生き続けていき、それは、私たち人間そのものの人格です。神様はユダヤ人だけの神ではなく、私たち異邦人、日本人にせよ、アメリカ人にせよ、あるいはガーナ人であるにせよ、「すべての人の神」でいらっしゃると書いてあります。

 私は若い頃、この聖句を見つけて大変喜びました。それまで「ユダヤ人の神」と思っていたその神様は、ユダヤ人だけの神様ではなくて、誰でも神様にひざをかがめ神様を呼び求めるならば、「私の神様」でいらっしゃるのだということなのです。あなたは、それを実感なさっていますか。 (つづく)

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