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習志野バプテスト教会の週報

ローマ人への手紙(四七)

 チャールズ・ソロモン博士は、有名な飛行機会社のカウンセラーをなさっていました。けれども、この先生自身が、心理学でカウンセリングを勉強したのにノイローゼになってしまいました。

 人間が作ったカウンセリングでは人を救うことはできないと、その後、先生は一生懸命にローマ書を勉強したそうです。人間は聖書の御言葉によってカウンセリングを受けなければならない、ということに気がついたと言われました。

 ソロモン先生と私とは非常に似た経歴をたどっていました。人間が作り出した心理学や精神分析、哲学、あるいは様々な人間の知恵による産物は、決して人間を救う力はない、と分りました。「いつも、誰かに見られている。いつか自分に裁きが来るぞ」という恐怖感は、例えようのない恐ろしい状況でした。心に安らぎがないのです。

 いつか裁きが来るという不安がありました。こうして逃げまどっている時に、神様は聖書の御言葉を通して、私の罪・汚れも、「イエス・キリストを信じるならば赦(ゆる)される」という約束をお示し下さったのです。

 若い頃、私もお酒を飲む席に連なったり、親戚の者に教わってダンスや麻雀をやったり、いろいろな遊びをやらされました。(自分からそれをやるということは、あまりなかったのですが)。

 世間一般の人と同じにやってみるかということで、誘われて入ったのです。しかし、決して心に安らぎはなく、いつも神様を恐れ、いつか自分の全(すべ)てが明らかになってしまう、いつか自分の正体がばれるぞという不安がありました。それを隠そう、隠そうとしている時は、不安と恐れだけで、安心感はありませんでした。

 私は神様に全てを明け渡し、「神様。あなたは私の欠点も、こうした心の中の欲望も、全てご存知です。もう神様に逆らうことをやめます。どうかイエス・キリストの十字架の血によって、洗い清めて下さい。私の力と努力では、神様の愛と恵みを受ける資格がありません。まったくお手あげです。神様に完全に降伏します。」とお祈りをしました。その時に、怒涛のような波に流された思いがしたのです。

 そして、静かな神様の赦しの御声(みこえ)を伺ったのです。その時から私の人生は変わりました。私は今、神様の赦しをいただいて、この聖書を学び、自分の人生を築いてゆくのだ、ということを決心したのです。それまで、あれこれ捜し求めて人生の土台を築こうとしていたのですが、最後は神様の御約束の言葉以外に立つべきところがないとわかったのです。それ以来、もう五〇年を越えましたが、本当に神様により頼んで良かったなあと思っています。

 「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。」
              ローマ五・八(続く)

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