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習志野バプテスト教会の週報

ローマ人への手紙(四五)

 「このキリストによって私たちは、信仰によって、今立っているこの恵みに導き入れられました。そして、神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。」              ローマ五章ニ節

 太平洋戦争が終わるまで、私たちは「教育勅語」や「修身」という勉強をさせられました。日本の教育制度の中で「こうすれば正直者はだいたい生活ができますよ。」という倫理観や道徳観の勉強がありました。

 けれども、敗戦によって、私たちは自分たちがこの生活の中で充分幸せになれるんだ、という土台が足元から崩れてしまったのでした。戦争が起きた時には、日本はいつも「神風によって救われた」という伝説的なことを聞かされてきたのに、日本がなぜ負けたのか、なぜアメリカが勝ったのか、ということをとても知りたかったのに、わかりませんでした。

 アメリカが日本を占領した時に、日本人の婦女子を暴行したり殺したということはあまり聞かず、むしろ、あちらこちらで聖書を配る宣教師の姿が見うけられました。また、「ケア」という物資が配給されたりしました。確かに、日本人が教えたことと本当のアメリカとは違うんだなあ、ということがわかったのです。

 その頃、学校に行くと先生に「何ページから何ページまで筆を取って、全部黒く消しなさい。」と言われ、民主主義に反する教科書の内容は全部黒塗りにさせられました。学校の先生たちは、自分たちが教えてきたことが全く悪かったということで、先生自身が教える力を失ってしまったのです。

 そういう時代にあって、私は聖書を手にしたのでした。人生の依(よ)るべきところは何か。有名な文学小説を読み、また人生の指針を得ようと、いろいろな思想の本を読みあさりました。けれども、そこには何一つ自分の魂を変革する力がなかったのです。

 とうとう、私は英語の勉強をしながら、このローマ書を皮切りに聖書を何度か読み始めました。マタイ伝では名前の羅列から始まって「何だこれは・・・。わからない! こんなおもしろくないもの。」とほうり投げたこともありました。しかし、ある時、ローマ書の記述が私の心をそっくりそのまま表わしていることに気がついたのでした。

 私がローマ書を勉強したのは、法律の勉強をするために通信教育を受けていた時でした。法律の勉強をしている最中に聖書の学びをしながら、私にとって法律よりも聖書の方が大事だということがだんだんと分かってきたのです。(続く)

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