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習志野バプテスト教会の週報

ローマ人への手紙(四六)

 「実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不敬虔な者たちのために死んでくださいました。正しい人のためであっても、死ぬ人はほとんどいません。善良な人のためなら、進んで死ぬ人がいるかもしれません。」   ローマ書五章六、七節

 私は、熱心な仏教徒である父親に育てられました。父は幼い時に両親と死別し、その後お寺で育てられたということもあり、非常に厳格な家庭でした。絶対に嘘をついてはいけない、という修身道徳のお手本みたいな父で、躾が厳しかったのです。そういう中にあって私は聖書を読み、「私は違う。このローマ書三章の言っていることは違う。私じゃない。」と抵抗しながら聖書を読んだのでした。


 聖書の中には「ユダヤ人もギリシア人も、すべての人が罪の下にあるからです。 次のように書いてあるとおりです。『義人はいない。一人もいない』」(ローマ書三章九~一〇節)と書いてあります。

 正しい者は一人もいない、この世に正しい者は誰一人いないのだ、ということに愕然としました。私は、他人の前ではクラスの委員長や学級委員として偉そうなことを言っているが、自分一人になった時、一体何を考え、何をしているんだろうか、と思いました。

 思春期から青年期、これは世界中どこの若者でもそうでしょうが、異性に興味が湧くものです。戦後の混乱の中、好色文学が沢山増えてきて、そういう物を読みあさったこともありました。しかし、心の安らぎはなく、喜びのない人生でした。他の人の顔を見ることが恥ずかしいような、何か自分がいつも悪いことをしているような感じがしていたのです。


 そして、次にたどったのは心理学の勉強でした。東大教授の書いた心理学の本や有名な作家の書いた本を読みあさりました。心理学を勉強すれば、何か土台を見つけられるのではと思ったからです。

 思春期の性に対する関心や、世の中の様々な快楽を追い求める思いがありました。外側から見るならば学校のクラス委員をやっている「立派な人間」であるが、心の中は乱れに乱れている腐れきった者だと自覚していました。そして恥ずかしくて人前に出ることができませんでした。

 心理学を勉強すれば、この迷いから逃れることができるかもしれないと思って、一生懸命、心理学の本を読んで勉強しました。そして心理学を通して、異性に対する興味というのは誰もが持つことだということ、また、そうした興味というものは正しいルートに乗せなくてはいけない、ということがわかったのでした。

 と同時に、自分の関心がそういう方に向かないようにするには、どうしたら良いのか、スポーツに打ち込むとか勉強に打ち込むとか、人生の目的を持ってそれに打ち込むのだ、ということも、心理学から教えられました。しかし、そういう「学問」というものは決して人間を変える力はなかったのです。(続く)

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