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習志野バプテスト教会の週報

ローマ人への手紙(四八)

旧約聖書を見ると、イスラエル三代目の王様ソロモンはたくさんの側妻を抱えました。

これは日本でもありますが、周辺の国々と領土争いをしないようにと政略結婚をし、その結果、いろいろな出身地の女性の偶像や神々をソロモンは迎えてしまったのです。

神様はソロモンに知恵を与えて下さいました。けれども、ソロモンの不信仰と不従順の罪の故に、ソロモンの死後イスラエルは二つに分裂したのです。

一方はイスラエル王国で、ヤロブアムがリードをとり、一方はユダ王国として、レハブアムがリードをとりました。

イスラエル王国、サマリヤ地方のヤロブアムはイスラエルの人々がエルサレムに礼拝に行ったのでは彼らの心は自分から離れてしまうと考えて、イスラエル王国内に偶像崇拝の場所を作ったのです。その時、神様は一人の預言者をお遣わしになり、ヤロブアムの罪を指摘させた時に、ヤロブアムは大変怒りました。

しかし、神様は彼の手を引っ込めることができないようになさったため、ヤロブアムは預言者にこう言いました。
「どうか、あなたの神、【主】にお願いして、私のために祈ってください。そうすれば、私の手は元に戻るでしょう。」(Ⅰ列王一三・六)。「あなたの神様にお願いして、私の手を元に戻して下さい。」という意味です。

私達は人生の問題があると、教会に来て牧師あるいは、宣教師、信仰の先輩に「どうぞ私のために祈って下さい。」と言います。しかし、聖書の約束は、マリヤや牧師や宣教師を通さずに、あなたが直接父なる神様にお願いすることができるとあります。牧会をしていると時々「先生。私のためにこういうことを祈って下さい。」と言われ、その時すぐ祈らないと、むかっときて後で私のことを非難する人たちがいます。

・・・しかし、祈りというのは誰かに強制されてするものではないと思うのです。私はその人の話を聞いている時、すでに祈りを始めます。口に出さなくても神様に祈りながらお話を聞いているのです。人間は弱いので、特別に牧師がひざまずいて手を置いて祈らなければ祈ってくれないと思うかも知れません。

しかし、そうではないのです。私たちは中間に仲介役のマリヤや牧師を必要としません。直接、父なる神様にお願いし、お
話ができるのです。これが信仰により、今立つところの恵みに入ることができる、ということなのです。

皆さんが、目を閉じて「神様、父なる神様。」とお祈りすると、神様は「わかっている。あなたの言いたいことを言いなさい。」と、私たちが言葉を発する前に聞いて下さるのです。
「彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。」
イザヤ六五・二四

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