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習志野バプテスト教会の週報

ローマ人への手紙(五二)

 何年か前に、神様からいただいている祝福を簡単なリポートにまとめて、10名程にEメールで送信しました。

 目の手術以後、自分ではEメールをしませんが、今回は本当にびっくりしました。昼間に送って翌日には私の手元に返事が来たのです。それも、アメリカからです。なかなかEメールも捨てたもんじゃないなと思いました。「いいメールでした!」

 私たちがいただいている祝福がまた別のところで祝福を呼び起こし、連鎖反応を起こしているようで本当に感謝なことです。

 その返事の中に、結婚を反対され10数年間行き来のなかったご主人の両親が、教会に来会されたという神様の大きな憐れみの証しがありました。

 神様を信じて祈る時に、私たちが刈り取るのは絶望ではなくて希望であり、豊かな祝福があるということを覚えます。


 ローマ五章は大変素晴らしい聖句がたくさん記されていて、とても短期間では学びきれないほど多くの御言葉の奥義が隠されています。
 
【神との平和を持っています】
 「こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています」(ローマ五・一)。

  日本に育って、生活をしていて当然日本人が小さい時から持ってきた日本人の独特な感覚と言うか、人生の捉え方というものは身に染みていることでしょう。


 私達は何か人生に悪い事が起こる、躓(つまづ)きが起こると「先祖の祟りである」と、小さい時から言われてきました。「先祖を粗末にしたからあなたにこういう祟りが来たんだ。」と。或いは不幸の経験があると、「運命だ」。このように諦めという事が強調されてきました。

 私も子供の頃から、くり返しこうした仏教的な諦めの教え、さらに人生の様々な問題に直面する時にいつも「先祖の霊を大事にしないからだ。」ということで、それこそ「恐怖観念」を植え付けられてきました。

 熱心な仏教徒であった父に対して、私はなかなか逆う事が出来ませんでしたけれども、戦争に敗けた時に、「仏教には私が頼るべき力がない。」と感じたのです。

 また、日本人が「大和魂」だとか「神道(しんとう)」、「日本は神の国である。」と考えていたことも単なる幻に過ぎなかったと思いました。

 そして私は「自分の生き方は自分で選びたい。こうした因習であるとか、或いは日本人の義理・人情の世界とか、仏教・神道の世界ではなく、自分で納得のいく生き方を求めていきたい」と決心したのです。 (続く)

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