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習志野バプテスト教会の週報

ローマ人への手紙(五六)

 「神様。自分はどうしてもお客を開拓する事ができません。仕事をもっと拡張したいと思うので知恵を与えて下さい。」とあなたは祈るでしょうか。信仰を働かせる、とはこういうことなのです。

 ジョージ少年が斧を使ったように、皆さんは神様からいただいた信仰、イエス・キリストの十字架を信仰によって受け止めたならば、その信仰を働かせればよいのです。神様があなたを祝福なさろうとする事を、自分で味わってほしいのです。


 もし、皆さんと私との違いが少しでもあるならば、私は救われてから毎日毎日信仰を働かせて、信仰によって神様から祝福をいただいている点でしょう。

 信仰によって、父親が「絶対、日本では牧師になっては食べていけないぞ。」と言ったにも関わらず、私たちは食べることが出来ているのです。

 ジョージ・ミューラーという有名な孤児院の創始者がいました。彼は二千人もの孤児の世話をしました。彼は毎日祈りました。お昼ご飯が何もない、パンがない。でもジョージ・ミューラー先生は、お手伝いさんに言いました。

 「テーブルにプレートをセットして下さい。」
 「でも先生、私たちはパン1切れもないんです。」
 「いいから、セットして下さい。」

 テーブルをセットする、ということは神様が必ず与えてくださる、という信仰なのです。そしてお昼時間が来ます。向こうの方から馬車の音が聞こえ、パン屋さんがたくさんのパンを運んで来て、その食卓を満たした、と伝記に書かれています。これが信仰を働かした結果なのです。

 クリスチャン生活の成長の一つは何かというならば、どれほど皆さんが個人の生活の中で、お金、結婚、職場、健康、学習のこと、何であれ神様に与えられた信仰を働かせるか、ということです。

 そうするならば確かに神様が私を救って下さった、私と神様との間は喧嘩状態ではなくて、神様との平和があるのだ、という確信が生まれるのです。

 「こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。このキリストによって私たちは、信仰によって、今立っているこの恵みに導き入れられました。

 そして、神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。

 それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。
 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(ローマ五・一~五)。 (続く)

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