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習志野バプテスト教会の週報

ローマ人への手紙(五八)

 神様を呼び求め、神様の憐みによって私達は救いをいただきます。救いの方法は大変簡単です。

 お腹の空いた赤ちゃんは「オギャー、オギャー。」と泣きます。赤ちゃんが泣くのは、お腹が空いているか、おしめが濡れているかのどちらかだとか。赤ちゃんが泣くとお母さんが来て、おっぱいをくれます。

 私たちは神様の前に「オギャー。」ではなくて「神様、助けて下さい。」と叫びを上げればいいのです。


 信仰のない人たちでも、救われた瞬間から神様は祈りを聞いて下さる、というのが聖書学者の解説です。

 救いに関しては、私たちがイエス様を信じるかどうかという最大の決心をする時に、その心に神様が働かれ、聖霊の働きによって私たちが神様を呼び求めるという形にして下さるのです。


 もともと人間は、アダム以来の罪のために神様を選ぶことができません。ただ、救いを求める時だけ聖霊の強い働きかけで、私たちは自分の意志が変えられて神様を呼び求めるのです。

 そして、そこから私たちは毎日毎日、今度は常識でも自分の努力でもなくて、信仰によって生かされていくのです。


 クリスチャン生活とは、献金をし、お祈りをし、聖書を読み、教会で奉仕をすることで成長すると考えるなら、それは大きな間違いです。

 信仰生活の成長の鍵は、どれだけ私たちが神様との正しい関係にあって、神様を喜び神様により頼むか、信仰を働かせるか、なのです。


 私たちはイエス様を信じる信仰によって神様に罪を赦され、神様の子どもと認められるのです。信仰によって最後まで進んで行きます。

 信仰というのは目に見えません。しかし、信仰の働きの結果を見ることはできます。信仰は、私たちが自分の考えよりも神様を信じることによって、因習(いんしゅう)や、いわゆる「宗教」を超えてイエス・キリストに依存することなのです。


 夜、真っ暗な一階の部屋から二階にいる子供に「そこから飛び降りて来なさい。お父さんが、しっかりと受け止めるから。」と言ったとします。親からは子供が見えますが、子供から親は見えない、という状況だとします。

 たいていの子供は父親が「降りておいで。飛べるよ。」と言うと、無鉄砲に飛び降りますね。子供は、必ず受け止めてもらえると信じるのです。クリスチャンの信仰も同じです。見えなくても、神様が必ず受け止めて下さる、という信仰によって飛び込むと考えたら、理解しやすいでしょう。


 私たちが以前、弱かった時に、神様は私たちを愛して下さいました。素晴らしい神様の愛によって、今まで乞食をしないで生活できたのです。(続く)

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