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習志野バプテスト教会の週報

ローマ人への手紙(六五)

 日本人の間で「自分がイエスを信じてやったのだ。」という生き方をする人がたまにいますが、実はまだまだ序の口であって、本当の信仰は神様に自分自身を含めて全てを明け渡すことなのです。そこにこそ、良心の咎めを感じないで毎日平安に過ごすことのできる秘訣があるのです。


 また、イエス様を信じる人は神様によって裁かれ、「恐ろしい地獄におちる」ということがありません。ということは、その「神様との平和」を与えられ、神様の裁きを恐れずに生きるということです(ルカ二三・三九~四三)。

 勿論、それは人殺しをしたり、強盗をしたりという「犯罪」のことを言っているわけではありません。信仰のない友達の誘いに乗って、思いがけず誘惑に負けてしまったということがあるかもしれないし、あるいは自分自身の生活の中で怒って物を壊してしまったり、誰かを傷つけてしまうことがあるかもしれません。

 でも、聖書に戻ってほしいのです。神様はいつも私たちの病や私たちの傷を癒す力をもって、待っていて下さるのです。そして神様に「神様、ごめんなさい」と謝るならばその瞬間、罪を赦して下さるのです。

 「ああ、そうか。では、何か悪いことをしてもいいのだな。謝ればいいのだな。」と言って悪いことをする人は、愚かな人で、その人は本当の意味で神様の赦しをいただくことはできません。

 皆さんは小さい時から、今に至るまでに一度だけではなく何度か物を壊したり、あるいは誰かに怒られたという経験があるでしょう。「私はそういう事が一度もありません。優等生です。」という人がいるでしょうか。


 人間は草のような存在、弱い存在です。間違いを犯しやすい者です。ここが問題なのであり、一番肝心なところです。

 神様は、私たちが草のような、風にそよぐ葦のような弱い存在であることをご存知でいらっしゃいます。
 人間は罪に負けやすい存在だと神様はご存知で、私たちがイエス様を信じるという時に、たとえ過去に犯した人殺しの罪や、泥棒の罪、人と争いをした罪、人を騙した罪があっても、イエス様を信じた瞬間に過去の罪はすべて赦されるのです。
 無罪放免なのです。「じゃあイエス様を信じる前にできるだけ借金をして踏み倒そう。」これまた愚かなことです。

 人間対人間の関係でそういう間違いは、イエス様を信じる時、私たちは全てを償う責任があります。神様に対して償うことはできませんが、人間対人間にある問題は、できる限り自分で償う必要があるのです。 (続く)
◎暗誦聖句 箴言一六章二〇節前半(表題下聖句)

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