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習志野バプテスト教会の週報

神をおそれよ

▽神様が喜ばれるいけにえは「砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心」である。(詩篇五一・一七)
   


  〝主よ。深い淵から、私はあなたを呼び求めます。主よ。私の声を聞いてください。私の願いの声に耳を傾けてください。主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。しかし、あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます。〟
      詩篇一三〇篇一~四節    

 以下は、スポルジョンの首記聖句解説の一部である。    

この詩人は、どんな低い所に行っても祈りをやめない。深みは普通、飲み込むすべてを沈黙させる。しかし、この深さの極みの中から、彼は主に叫んだ。祈りが出来れば、どこにいるかは問題でなくなる。深い場所は深い献身を生み出す。ダイヤモンドが最も輝くのは暗闇の中である。「深い淵から」の祈りは、「いと高い」栄光を神様におささげする。私たちの苦しみが大きければ大きいほど、勇敢に主に信頼する信仰はすぐれたものとなる。それ故、主に訴え、主にのみ頼(たよ)ろう。深い淵の中から祈る人は、その淵から沈むことはない。苦難の中から叫び声をあげる人は、すぐにも高い所で歌を歌うことになる。    

もしすべてを見通される主が、すべての人を義に欠ける者として厳格(げんかく)に裁(さば)かれたら、人はどこに居場所があるだろう。主は、私たちのすべての罪を記録しておられる。もし人が、わざ以外何の基準もなく裁かれるとしたら、私たちのだれが主の裁きに耐えることができるだろうか。詩人は、自分自身の義では偉大な王なる神様の前には立てないことを認めている。「善を行う人はいない。ひとりもいない」(ロマ三・一二)のである。    

しかし、神様は赦(ゆる)してくださる。何の代価も求めず、十分でこの上ない赦しが偉大な王の御手にはある。それこそ神様の赦しの大権であり、それを表現するのを喜ばれる。主のご性質は憐れみであり、罪を贖(あがな)うためのいけにえを備えられたので、罪を告白して御前に来る者すべてのために赦しがある。赦しの力はいつでも神様と共にある。この瞬間も赦しを備えておられる。    

主を恐れることは、実り豊かな敬虔な人生の根である。赦しの愛を経験した人のように主を恐れる者は誰もいない。赦しへの感謝は罪によって生み出された恐怖にまさって、神様を恐れさせ、敬わせる。もし主がすべての人に対し義を行われたら、神様を恐れる人は一人もいないだろう。主の御怒りを理解するだけなら、絶望によって心を頑(かたく)なにし、神様を恐れないだろう。恵みこそ、聖なる神様への顧(かえり)みと神様を悲しませることについての恐れに導くのだ(『ダビデの宝庫』Ⅲより)。    

   【二〇一二年三月一八日号を再掲載】    

   

  ◎ 暗誦聖句  ロマ書三章二九節
〝 然(しか)り、また異邦人(いほうじん)の神(かみ)なり。 〟

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