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習志野バプテスト教会の週報

ローマ人への手紙(七二)

 「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」         ローマ人への手紙五章八節


 私たちは、神様が私たちを愛してくださっているという確かな証拠を見ることができます。それは神様が最も大きな犠牲を払い、御子イエスを十字架につけて私たちの罪の身代わりとして下さったということです。

 旧約聖書のイザヤ書五三章六節には「 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った」と書かれています。人間は自分勝手な道を歩いているのです。

 にも関わらず、神様は私たちを救うために御子イエスをこの世にお遣わしになり、十字架を背負わせて下さったのです。その結果、私たちは、十字架につけられたイエス様を仰ぎ見る時に、一度も罪を犯したことがないのと同じように扱われるというのです。決して私たちは聖人君子になるわけではありません。

 人生の様々なところで私たちは間違いを犯(おか)します。けれども神様は私たちの罪汚れに対し、「またやった。またやった。」と罪を追いかけ回すお方ではなくして、イエス様の十字架をご覧になって赦してくださるのです。

 イエス様が十字架上で流してくださった血潮によって、私たちが神様の前において正しい者とみなされ、神様の家族の一員として、神様の子供として扱われるのです。まして、イエス・キリストによって神の怒(いか)りから救われないはずがあろうか、ということです。私たちは、イエス・キリストの十字架の死によって神様がどんなに私たちを愛してくださるかを知ることができます。


 私が高校生のとき、NHKのラジオ英会話の勉強をしていました。その時、日本中のあちらこちらでラジオの聴取者の会ができて、一番多い時期は北から南まで一六〇〇ほどの英会話のサークルができました。後に私はそれらのサークルをリードすることになりました。東京の小松川高校で千数百人を集めて私は聴取者の会を開きました。


 当時、宣教師であれば良いクリスチャンであると思っていたので、わからないままGHQのトップに会いに行ったり、宣教師がいる所はYMCAと思い、行ってお願いしました。その時、快く引き受けてくださったGHQの民間情報局長は女性でした。

 YMCAからは宣教師のリーパー夫人が派遣されて来てくださいました。女学校を借りて英語の指導をお願いしました。二、三年たって北海道と青森を結ぶ青函連絡船洞爺丸が沈没しました。新聞に大きく出た記事にリーパーという宣教師が亡くなったということで、私はあのリーパー夫人のご主人だなと思いました。確かにそうでした。(続く)

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