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習志野バプテスト教会の週報

ローマ人への手紙(七四)

 「私は罪深い人間です。しかし、イエス様は私を愛して下さり、罪から引き上げて下さった。私は罪の重荷を背負ったどうしようもない、箸にも棒にもかからない人間である。

 しかし、私が十字架を見上げた時に、イエス様は私を救って下さった。私は今、食べ物や着る物が必要だが、お金がない。しかし、神様は空の鳥を養って下さり、野のユリを見よと仰せになった。まして万物の霊長といわれる私を、神様が引き上げて下さらない筈(はず)がない。」これが信仰です。


 信仰というのは、七面倒くさい議論をするものではありません。「偉大な人物は単純な信仰の持ち主だ」とボブ・ジョウンズ大学の初代総長ジョウンズ博士が、よくチャペルで強調なさいました。信仰は本当に単純なものです。

 私の信仰生活は、年を経るにしたがってだんだんシンプルになり、余分な飾りがなくなってきました。本当に神様の一つ一つの御言葉があれば十分という状況になってきました。


 若い頃は悩み、あれやこれや沢山の注解書を読み、学べば学ぶほど混乱するばかりでした。けれども、ローマ書を勉強することにより、本当に濡れ紙をはがすように神様の奥義がどんどんわかってきて、飛び上がらんばかりの喜びに満たされたのです。今でもローマ書を勉強すると心が躍ります。皆様にもその喜びを味わって頂きたいのです。


 ローマ書五章に「まして」という言葉が何回あったでしょうか。若い人は、サッカー・チームやテニス・クラブ、あるいは野球チームに入りたい時、いろいろとおねだりしたことがあったと思います。お父さんが、「野球チームに入ったのか。今度ユニフォームとミットを買ってやろう。」と言ってくれた時、あなたの手元にボールがなかったらどうするでしょうか。

 高いユニフォームと上等なミット、あるいはグローブを買ってくれたのだから、ましてボールを買ってくれないはずがあろうか、と思うでしょう。上等なグローブがあっても野球はできないのだから、ましてボールを買ってくれないはずがあろうか、と考えるのが普通でしょう。

 「神様が私たちの命を救って下さった。まして、毎日必要な健康のこと、食べること、寝る所、あるいは自分の将来のことなどに対して目を留めてくださらないはずがあろうか」です。そして、決してそんなことはありませんね。


 以前、ヨーロッパの貴婦人たちは、宮廷でパーティーやダンス・パーティーがあると、竹で造った輪をスカートの中に入れていました。どうして裾の広がったスカートをはいたのでしょうか。

 本当かどうかはわかりませんが、香水で有名なある国の宮廷は、立派な御殿、宮殿があるのにどこにもトイレがなく、宮廷の前の庭で用をたす時に、あの竹の輪の中でちょっとしゃがんだと何かで読んだ記憶があります。皆さんが家を建てる時に、居間、書斎、台所が必要だといってお金をたくさん使うでしょう。まして、絶対必要なトイレを作らないはずがあるでしょうか。(続)

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