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習志野バプテスト教会の週報

ローマ人への手紙(七五)

 いくらか「まして」の意味がわかったでしょうか。以前、神学校で、学生に将来、教会建設をするだろうからと、教会の設計図を何度か描かせました。

 そうすると、だいたい描き忘れるのがトイレだったのです。不思議でした。献身して神学校に行き、牧師になろうとする人に教会の図面を描かせると、まず立派な礼拝堂を作り、次に牧師の事務室を作るのに、教会にとって大切なトイレと物置を欠いていたのです。


 私たちが神様に日々依り頼んでいく時に、最も大切な命、その命を救ってくださった神様は、毎日必要な食べる物、着る物を添えて与えてくださらないはずがあるでしょうか。神様は私たちを赦し、命を与え、食べる物、着る物を与えてくださいます。


 仮に、人間が太陽の光に対して電気代を払うとしたら、毎月いくらになるでしょうか。

 夏の間、電気代が沢山かかったことでしょう。神様がもし、太陽の光の料金を各家庭に請求なさったら、私たちは生きていけません。空気も同じです。人間が一月生きるために必要な量を一トンまたは一〇トンと配給を受けるなら、どんなに大きな容器があっても足りないでしょう。


 水も同じで、日本人は水のありがたさを知らないと言われています。もし、外国人たちのように水は買う物だとすれば、もっと水のありがたさを知ると思います。

 人間は、神様から人間にとって必要な空気、太陽、水などを、ほとんどただかただに近い金額でいただいているのです。私たち人間にとって神様のすばらしい愛が、私たちの必要を満たさないはずがないのです。


 「私たちは神様によって命を救われ滅びから贖い出された者として、神様にこの命をお捧げします」と使徒パウロは書きました。


 「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい」(ローマ一二章一節)。


 使徒パウロは命令はしませんでしたが、勧(すす)めました。「あなたの体を生きた清い供物として神に捧げなさい」と。皆さんがイエス・キリストを信じて救いを頂いた時に、この体だけではなくして、自分が働いて得たお金も、自分の才能も、また自分の時間もすべて神様にお捧げするというのが当然の感謝の供物でありましょう。


 鳥や花にまさる人間として、神様は私たちを滅びの中から選び出して救って下さったのです。犬でも飼い主のために自分の生命を犠牲にすると言います。"How much more"、「まして」、人間は生涯を神様におささげできないはずがありましょうか。

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