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習志野バプテスト教会の週報

最も大切なこと(1)

   ▽「律法を
    行なうことに
    よっては、
    だれひとり
    神の前に
    義と
    認められない」
    (ローマ三・二〇)
   


  〝私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、…〟
      Ⅰコリント一五章三節    

 パウロが「最も大切なこととして伝えた」ことであるから、最大限の注意を払って聞くべきである。    

◇キリストは私たちの罪のために死なれた    

〝義人はいない。ひとりもいない。〟ローマ三・一〇 〝すべての人は、罪を犯した…〟ローマ三・二三    

 聖書は、義なる神様の前では全ての人が罪人であると記している。「私は完全ではない。罪を犯した。」と人は認めることだろう。しかし、「人殺しではないし、強盗でもない。ウソやズル、ちょっとした悪いことは他の人もやっている。私はそんなに悪くない。」と思っているのではないだろうか。すなわち。キリストが鞭(むち)で打たれ、傷つけられ、十字架の上で身代わりの死をとげなければならなかったほど、私はひどい罪を犯していないと考えているのだ。    

〝律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです。 〟
  ヤコブ二章一〇節    

 山の頂上に杭(くい)が打ち付けられ、いくつもの環(わ)がつながって出来た一本の鎖(くさり)を支えている。あなたが山の上から垂(た)れている鎖をたよりに山を登っているとしよう。杭から近い環であれ、自分の手元の環であれ、一つでも環が壊れるならば、あなたは下に落ちていくことになる。同じように、どんなに神様の戒めを守っていても、一つの戒めを破るなら、すべてを犯した者となるというのだ(ウェルチ先生の例話集より)。    

 あなたの好きな飲み物は何であろう。大好きな飲み物に毒(どく)が一滴混ぜられた。あなたは飲むであろうか。一滴でも人の命を奪(うば)う毒ならば、量は関係ない。一滴でも毒は毒である。決して飲まないであろう。    

 ある人々は、「神様は私の罪を裁くことをなさらない。私は十分よい人間だから。ひどい罪を犯していないから。」と考えている。ひどい罪とは何であろう。子どもは人を殺したり、強盗(ごうとう)を働くことは出来ないであろう。大きな罪、小さな罪、ひどい罪、軽い罪はない。聖なる神様はどんな罪をもお嫌(きら)いになる。一滴でも毒は毒であるように、一つの罪も人の命にかかわる恐ろしい罪である。〝罪から来る報酬は死〟(ローマ六・二三)である。それゆえに、キリストはあなた(私)のために死なれたのである。正に福音である。    

救いは自分のよい行いでは決して手に入れることはできない。神様からのプレゼントである。〝罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物(たまもの)は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです〟(ローマ六・二三)。キリストを信じ、救いをいただこう。    

   

  ◎ 暗誦聖句  ヨハネ伝 一一章二五節
〝イエス言(い)い給(たも)う『我(われ)は復活(よみがえり)なり、生命(いのち)なり、我(われ)を信(しん)ずる者(もの)は死(し)ぬとも生(い)きん。 〟

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