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習志野バプテスト教会の週報

ローマ人への手紙(一二一)

 アメリカは建国時代、初代大統領をはじめ人々は、信仰を基盤として「In God we trust.(我ら神に信頼す)」と言う文字を、コインに刻みました。そういう素晴らしい建国の歴史をもつ国が、物が豊富になり、経済的に裕福になるにつれて、神様を忘れ、自分たちの勝手放題の国に堕落してしまいました。


 教会関係のニュースを見ると、現在アメリカでインターネットを使ったビジネスが盛んであるようです。しかし、その六割が実はポルノを売るサイトだと言います。パソコンは大変に便利ですが、悪魔の道具にもなりえます。仕事中、あるいは、自分の家で、ボタン一つでポルノを簡単に見ることができる恐ろしい時代です。神様が一回だけでなく、繰り返し警告をお与えになるのは、イスラエルの歴史をみて学ぶところです。


 私たちはマスコミを通して様々な議論を聞きます。多くがヒューマニズムの考え方、あるいは同情心、または聖書の断片的な言葉の引用です。テレビの討論や、新聞の投書を見る時、私たちはクリスチャンとして、どう考えるべきでしょうか。一番問題なのは日本人の議論に、神様をないがしろ(・・・・・)にした、あるいは抜き(・・)にした議論が非常に多いことだと思います。「神様のご計画」「神様のみ言葉」「神様を礼拝する」というものが、全くないのです。


 ある人が、テレビで「私は宗教を勉強している。イスラム教、ユダヤ教、キリスト教、様々な宗教を勉強している。神様は皆、同じだから。」と言うのを聞いて、これが多くの人の考え方だなあ、と思いました。


 あの世界的に有名なビリー・グラハム伝道者でさえ「神様はキリスト教だけでなくして、他の宗教の人達も救う。」と言うようになった時代です。明らかにこれは、聖書の正しい教えからはみ出して(・・・・・)しまった考え方です。


 神様をないがしろにし、神様を抜きにして、人間の同情心に訴えたり、または感情に訴えるメッセージが世界中で聞かれます。そういう中に、私たちはどんな時であっても、神様の御言葉に聞き従い、神様の御言葉が「はい。」と教えるならば、どんなに自分の立場が悪くなるとも「はい。」と言わなくてはなりません。

神様が「いいえ。」とおっしゃる時には、どのように自分の利益が目先にぶら下がっていても、「いいえ。」と言わなくてはならないのです。これがクリスチャンの本当の意味での信仰であり、また、信仰の父、アブラハムが私たちに示した信仰者の歩みではないか

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