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習志野バプテスト教会の週報

 ローマ人への手紙(一二二) 

 私たちはどんな時であっても、神様の御言葉に聞き従いたいと願うものの、朝から晩まで、生まれてからずっと、神様に召される時まで、信仰の高い峰を歩き続けるということは、まず不可能でしょう。ある時は熱心に神様を呼び求め、祈り、お仕えし、次の瞬間には、あの偉大な預言者と言われたエリヤが陥ったと同じように、大きな成功の後、「神様、もう私は、命を取り上げていただきたいです。」と弱音をはく状態が来ます。信仰生活は私たちの喜怒哀楽(うれしい、かなしい、さびしい)という感情に左右されてはいけないのです。信仰はあくまで「事実」「真実」「信仰」というものが一線に並びます。


 落語家の話を五分あるいは一〇分、三千円だ五千円だと払って聞いて「ああ、楽しかった。」と思ったところで、自分の人生は変わるでしょうか。その時に「わあ~っ!」と笑っても皆さんの人生を根本から変えることはできませんね。


 しかし、聖書を読み、神様のお言葉を一つでも心にしっかり受け止め、これは全知全能の神様の御約束であると信じて、それに従って行動するならば、私たちの人生は全く違った生き方へと変えられてゆくのです。


 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」(ヨハネ三・一六)。

「イエス様をこの世にお遣(つか)わしくださったほどに、私を愛してくださった。」という一言を聞くことは、「誰も私を愛してくれないし、考えてもくれない。私は世界中六三億人も人間がいる中で、一人ぼっちだ。」と嘆く人たちに大きな影響を与えます。「人間や全ての物をお造りくださった創造主なる神様が、こんなちっぽけな私をも愛してくださっているのだ。」ということを実感するならば、これまで皆を呪い、あるいはうらやみ、自分は孤独だと嘆いていた生活は変わっていくのです。


 「信仰の力」は、神様のお約束の言葉にのっとった行動にあります。神様に全てを委ねきった生活というものが、私たちの人生を変えてゆきます。くどいようですが、人間は誰もが人間性を持っています。


 「人間の体」には健康な姿の中に、誰もがもつ基本的な感情とか、欲望というものがあります。お腹が空けばジャン・バルジャン(「罪と罰」の主人公)ならずとも、私たちはパンを手に取って食べたくなります。ジャン・バルジャンは、貧しい故にひとかけ(・・・・)ら(・)のパンを盗んで一生、警察官に追われる身となった、という小説があります。             (続く)

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