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習志野バプテスト教会の週報

ローマ人への手紙(一二四)

 当然、人間はこうした心の戦いを経験します。また、いくら努力してもなかなか止(や)められない「陰口を言う」「人の噂をする」ということがあります。妬みの感情、口の災いというものは多くの人びとが、私を含めて経験するところであると思われます。


 私たちは、自分の意思ではどうすることもできない、外部からの刺激に対して、この肉の体に反応してしまう弱さを持つ、罪の法則があるようです。罪の力は、私たちの理性も道徳観も全て踏みにじってしまい、悪いことをやってしまうという発展につながることがあるようです。


 新聞を開いて三面記事を見るのが恐い、うっとうしいと思うような、忌まわしい事件が毎日のように報道されています。しかも、それは、かつては考えられなかったような、消防士が火をつけてまわって「火事だ。」と言って最初に消しに行くとか、警察官が女性を暴行したり、あるいは学校の先生が子供を暴行したりと、これまで模範的だと思われた人たちが次々と悪い事をやって、新聞ざた(・・)になる時代です。


 では、そういう人たちを私たちは責めることができるでしょうか。警察官、消防士、学校の先生たちは、あなたと違う体や感情を持っているのでしょうか。そうではありません。誰もが同じ体を持ち、同じ社会の中で生活しています。裁判官であろうと、警察官であろうと、理性的にあるいは職業柄、欲望を押さえているに過ぎないのです。

一度箍(たが)を外すと、とたんに悪いことをしだすことが多くあります。たとえば、それまで模範的だった警察官が暴力団の顧問(こもん)になったりすることがあります。私たちは、こうした「罪の法則」「肉の体」に力を及ぼす「悪の力」、善を求めていても善をすることができない人間の弱さ、というもの見聞きする時代です。まさに歴史が示す通りです。


 七章を見ると、神様がお与え下さったこの「聖書のおきて」、すなわち旧約聖書の律法は、地上の私たち人間にとって守りきることができないとあります(ローマ七章一五~二四節)。律法を守ることによっては、誰一人神様に正しいと認められません。


 では、律法の働きは何でしょうか。それは人間に罪を示して、神様の助けを呼び求めるようにする「養育係」であると使徒パウロは書いています。自分の力や自分の知恵でやることのできないところを、神様がイエス・キリストというお方をこの世にお遣(つか)わし下さって、イエス様が私たちの身代わりとなって下さったことを、ここで知ることができます。

「肉に従う者は肉に属することを考えますが、御霊に従う者は御霊に属することを考えます。肉のうちにある者は神を喜ばせることができません」(ローマ八・五、八)。(続く)

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