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習志野バプテスト教会の週報

◆ まことに主は大いなるお方(3)

   ▽「神の国と
    その義とを
    まず第一に
    求めなさい。」
   (マタイ六・三三)    


   ジム・バーグ博士の "Created for His Glory(神様の御栄光のために創造された)" からの引用    

神様は永遠に存在なさるお方であり、絶対的な主権者である。これは全宇宙の中心をつらぬく事実である。神様はすべてに一番であり、優れたお方である。もし、神様の最優先性を歪めて理解したり、忘れたりすれば、すべてのことが的外れになってしまう。神様こそ最も偉大なお方であり、最優先されるべきお方であることは、聖書のいたるところで教えられている。いくつかの聖句を見てみよう。    

「初めに、神が天と地を創造した。」 創世記一・一    

「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連 れ出した、あなたの神、主である。あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」出エジプト二〇・二~三    

「きょう、あなたは、上は天、下は地において、主だ けが神であり、ほかに神はないことを知り、心に留めなさい。」申命記四・三九    

「というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」ローマ一一・三六    

「神である主、常にいまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアル ファであり、オメガである。」黙示録一・八    

 神様がすべてにおいて最優先されるべきお方であり、最も偉大なお方であることを、時間をかけ、熟考しなければ、他の全てが私たちの目に大きく映る。問題は大きく見え、誘惑は強くなり、目標は遙か遠くで目標達成は不可能に見える。神様の最優先性を意識していないと、私たちは目を覆われている状態で生きているようなものである。   

誰かを導く立場にあるとき、「盲人を手引きする盲人」であり、悲劇である。なぜなら、盲人が盲人を手引きするなら、二人とも穴に落ち込む(マタイ一五・一四)のである。心満ち足りた、安定したクリスチャンは、神様こそすべてに最優先されるお方として考えている。    

 神様の最優先性は、神様の御栄光と切り離して考えることはできない。神様の御栄光を正しく理解しているクリスチャンは少ないように思う。チャールズ・ライリーは、「神様の御栄光は、何らかの方法で示される神様の重要性、輝き、そして畏敬の念を起こさせる荘厳さである。」と説明している。何かの栄光とは、それを一番とならしめる優れたことであり、その故に他のものとは異なる唯一性である。    

   

  ◎ 暗誦聖句  マタイ伝六章三三節前半 
〝まづ神(かみ)の國(くに)と神(かみ)の義(ぎ)とを求(もと)めよ、(さらば凡(すべ)てこれらの物(もの)は汝(なんじ)らに加(くわ)へらるべし。)〟

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