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習志野バプテスト教会の週報

◆ 礼拝奉仕者として整えられていこう

   ▽「慎みと恐れとを
     もって、神に
     喜ばれるように
     奉仕」しよう。
   (ヘブル一二・二八)    


  〝 ラッパを吹き鳴らす者、歌うたいたちが、まるでひとりででもあるかのように一致して歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパとシンバルとさまざまの楽器をかなでて声をあげ、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」と主に向かって賛美した。そのとき、その宮、すなわち主の宮は雲で満ちた。〟 Ⅱ歴代五・一三    

 「歌うたい」は、アサフ、ヘマン、エドトンと彼らの子供達と兄弟達である(一二節)。Ⅰ歴代誌二五章に詳しく記されている。一二人組の音楽奉仕隊が二四隊あり、総勢二八八名であった。シンバル、十弦の琴、立琴を手に歌を歌う達人たちであった【アサフ四隊、エドトン六隊、ヘマン一四隊】。他に、ラッパを吹く祭司たちが一二〇人いた。ソロモンが建てた宮の奉献式には、四〇〇人位の音楽奉仕者がいたと思われる。    

 彼らは「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と歌った。「いつくしみ深い」は英語では good(善) である。神様が善であられるというとき、二つのことを意味する。①神様はすぐれたお方である。②慈悲深く善意に満ちたお方である。私たちが罪を繰り返し犯しても、心から悔い改めて神様に赦しを求めるならば、罪を赦し、愛を豊かにそそいでくださり、私たちに最善をなしてくださる。しかも、神様の愛、恵み深さ、憐れみ深さ、いつくしみ深さは変わることがない。音楽奉仕者が賛美した「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」は彼らの心からの叫びであった。    

 四〇〇人もの人が一致して歌声を響かせることができた理由は何であろう。彼らの主への愛と謙遜、すなわち、主を知り、主のお姿に似る者と変えられていたからだと思う。主の偉大さを知り、御前にへりくだっていたので、神様の御栄光のためだけに奉仕は献げられた。自分のためではなかった。いかに自分自身に死んで、思いと声を仲間と一つに合わせるかを互いに求めなければ、四〇〇人の声と楽器は一つに合わない。    

 偉大な神様に奉仕をおささげするには、自分のベストでも十分でないことを知り、努力し、勤勉に練習したのだろう。レビ人は、二五才から任務につき、先輩から学び訓練を受けた(民数記八・二四)が、三〇才までは奉仕者として登録されなかった(民数記四章)。彼らは、二五~三〇才まで訓練を受け、奉仕者として整えられていった。指揮者に従い、指揮者の心をくみとる訓練も受けたであろう。    

 主は、彼らの賛美を受け入れられ、宮は主の御栄光で満ちた。私達も礼拝奉仕者として整えられていこう。    

   

  ◎ 暗誦聖句  コリント前書一〇章三一節
〝さらば食(くら)ふにも飮(の)むにも何事(なにごと)をなすにも、凡(すべ)て神(かみ)の榮(えい)光(こう)を顯(あらわ)すやうにせよ。 〟

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