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習志野バプテスト教会の週報

   ▽「御霊の実は、
     愛、喜び、
     平安、寛容、
     親切、善意、
     誠実、柔和、
     自制です。」
   (ガラテヤ
    五・二二、二三)
   


  "God is more than enough"(神様は私にとって十分以上のお方)ジム・バーグ博士著からの翻訳    

 プライドは、情欲をもやし、不健全なことにふける。プライドは、自分の失敗をごまかし、それを隠そうと画策をする。プライドは正気を失わせ、衝動的に行動をおこさせる。プライドは、思い煩い、いらいらさせる。プライドは大きな騒音である。    

 プライドは自己主張、自己弁護、自己宣伝、うぬぼれ、自尊心で一杯である。プライドは次のようにわめく。「いやだ」「私が手にするはずなのに…」「私には責任がない」「そんなことは許さない」「そんなことは我慢できない」「私の好みではない」。これらは柔和(にゅうわ)ではない。それらは魂の騒音である。    

 乳離れをしていない子どもがお腹をすかせて、お母さんの膝(ひざ)のうえで騒ぐように、自我は容赦(ようしゃ)なく騒音をたてまくる。詩篇一三一篇はこのことを大変よく表している。ダビデは「まことに私は、自分の魂を和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私の魂は乳離れした子のように御前におります。(二節)」と言った。    

 お腹がすいた乳児が母親に近づけば、身をよじって腕をばたばたさせ、むずかる、お乳がほしくて落ち着きがないのだ。ダビデは「自分の魂を和らげ、静める方法を学びました。私は満ち足りています。私はむずかっていません」と言っている。    

 神様を脇(わき)においやり、魂に騒音をかき立てるような反応を取っていることを悔い改めよう。あなたの生涯に神様がしてくださっていることを喜んで受け入れよう。神様の御支配に完全に委ねて柔和な者になろう。マタイ一一章は、イエス様は「心優しい(文語訳[柔和])」お方であると教えている。イエス様から柔和について学ぶ必要がある。    

 イエス様は「わたしのようにへりくだる者となりなさい」とも仰(おっしゃ)っている。主は私たちが遜(へりくだ)る者となるように願っていらっしゃる。謙遜は柔和の中心である。主イエス様は、ご自分のために生きられなかった。「わたしから学びなさい。わたしはあなたに模範を示します」と仰った。    

 ヨハネの福音書を通して読むと、イエス様が「わたしは自分の望むことを行うためではなく、父のみ心を行うためにこの世に来たのです」(ヨハネ五・三〇、九・四)と仰っていることに気づく。主は弟子たちに「何と言おうか『父よ。この時からわたしをお救いください。』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです」(ヨハネ一二・二七)と仰った。イエス様は喜んでへりくだられ、父のみ心を行われた。      (続く)    

  ◎ 暗誦聖句  エペソ書六章一七節
〝また救(すくい)の冑(かぶと)および御靈(みたま)の劍(つるぎ)、すなはち神(かみ)の言(ことば)を執(と)れ。 〟

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