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習志野バプテスト教会の週報

神をおそれよ(6)

▽「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あ
なたが私とともにおられますから。」
(詩篇二三・四)

一年の四分の一が過ぎた。今年の目標は守られているだろうか。守れているなら、
主に感謝をしよう。目標を忘れていたなら、今日から再スタートをしよう。
二〇一二年一月二九日の礼拝でロン・ホワイト博士を通していただいた神様の
み言葉を思い起こそう。「私のいのちの日の限り」というテーマで詩篇二三篇六
節がテキストであった。
一、この地上での人生は短い
  〝私たちの齢(よわい)は七十年。健(すこ)やかであっても八十 年。しかも、
その誇りとするところは労苦とわざ わいです。それは早く過(す)ぎ去り、私た
ちも飛び去 るのです。…それゆえ、私たちに自分の日を正し く数えることを
教えてください。そうして私たち に知恵の心を得(え)させてください。〟(詩
篇九〇・ 一〇、一二)
  誕生日に、私は「もう七〇だ」と言ったが、神様 は「あなたは二五四〇六
だ」と仰(おっしゃ)った。私達は「年」で数えるが、神様は「日」で数えられる。
人生 は短いので、一日一日をムダにしてはいけない(伝 道の書一二・一、エ
ペソ書五・一六参照)。
  たった一度の人生、しかもすぐに終わりがくる。 キリストのためにしたこ
とだけが永遠にのこる。
二、地上の人生には限りがある(詩篇三九・四~五)
「主よ教えてください」と祈ろう。①私の終わり、私の齢がどれだけなのか。
②私がどんなにはかないか。③私の一生は全くむなしいことを。ヨブ記一四・一、
五にも「私の日数(ひかず)は限られている」「私の日数は困難で満ちる」「私の
日は終わりを迎えようとしている」とある。この地上の人生には限り(終わり)
がある。この地上に生(せい)を受けた時から息を引き取るまで、長さよりも、ど
のように生きたかが重要である。
三、この地上での人生は祝福である
  主が私の羊飼いでいらっしゃるので、私は乏(とぼ)しい ことがない。しか
し、全ての人が羊飼いをもってい るのではない(マタイ伝九・三六)。神様の
慈(いつく)し みと恵みは私達から離れることがない。このすばら しさを経験
しているならば、「私のいのちの日の限 り…私は、いつまでも、主の家に住ま
いましょう」 (詩篇二三・六)は私たちの強い願いになる。この 地上の生命
は始まりがあり、終わりがある。永遠の 生命は始まりがあるが、終わりはない。
主イエス様 にお仕えできる今、愛する主のために、精一杯生き よう。証(あか
し)をしよう。
☆主を恐れ、信頼する人は死をも恐れない。(続く)

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