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習志野バプテスト教会の週報

◆あなたの魂にある騒音に気付こう(2)

   ▽「その(知恵を
     見いだし、
     知恵に従って
     生きる)道は
     楽しい道であり、
     その通り道は
     みな平安である。」
    (箴言三・一七)
   


  "God is more than enough"(神様は私にとって十分以上のお方)ジム・バーグ博士著からの翻訳    

〝すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。〟
    マタイ一一・二八    

 魂の救いの確信がないなら、あなたの隣りにいるクリスチャンに「どのようにしてクリスチャンになるのか」を聞き、あなたもイエス・キリストを信じ、永遠の生命をいただこう。    

 イエス様は、そこにいた人たち全員に「すべて疲れた人はわたしのところに来なさい」と言われた。疲れた人とは、疲れがたまり、疲れはててしまった人の意味である。語源は、むちで打たれる、である。    

 ほとんどの人が疲れた人であろう。竜巻に襲(おそ)われ、渦巻(うずま)く強風にのみこまれるならばどんなに恐ろしいことだろう。私たちの魂は人生の中で色々な形の竜巻にあい、圧倒させられてしまうことが多い。正にそのような状態にある私たちにイエス様は「わたしのところに来なさい。あなたのような人々をわたしは助けることが出来ます。」とおっしゃるのだ。    

 「重荷を負っている人」とは、積荷の重さに耐えられずに沈んで行く貨物船と似ている。これ以上は我慢(がまん)が出来ない、すなわち、これ以上のプレッシャーがかかるなら、地面に沈(しず)んでしまう、という時である。イエス様は「わたしのところに来なさい。わたしはあなたのような人を助けることが出来ます。」とおっしゃる。なんとすばらしいお招きだろう。イエス様は私たちがご自身のもとに来ることを望んでいらっしゃる。イエス様は私たちを助けたいとお考えなのだ。    

 魂の中にある騒音の棚卸(たなおろ)しをしよう。すなわちあなたの心から、憩いと安らぎを奪っていることを書きだそう。その前に、ダビデ王によって記された箇所を読もう。ダビデ王は詩篇四〇・一で「私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は、私のほうに身を傾け、私の叫びをお聞き」になったと述べている。    

 私が強調した部分に注意してほしい。神様が身をのりだすようにしてあなたの叫びをお聞きになっていることを知っていただろうか。「私はあまりにも多くの問題を抱えているから、神様は私の話などお聞きになりたいはずがない」と言うかもしれない。しかしそれは間違いである。神様はあなたが抱える多くの問題をお聞きになりたいのだ。ダビデ王は「神様は私の叫びをお聞きくださった」と言っている。神様はあなたの叫びもお聞きくださる。(続)    

   

  ◎ 暗誦聖句  イザヤ書四一章一〇節A

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