FC2ブログ

習志野バプテスト教会の週報

◆ あなたの魂にある騒音に気付こう

   ▽「心の貧しい者    (神様の恵みが
    なければ
    生きていけない
    と知っている人)
    は幸いです。」
   (マタイ五・三)
   


  "God is more than enough"(神様は私にとって十分以上のお方)ジム・バーグ博士著からの翻訳    

〝すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたし のところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませ てあげます。わたしは心優しく、へりくだっている から、あなたがたもわたしのくびきを負って、わた しから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが 来ます。 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷 は軽いからです。」 〟 マタイ一一・二八~三〇    

 ゆるやかな流れの川辺又は池の水面に小石を投げたことがあれば、石が接した水面から輪が広がっていくのを見たことがあるだろう。自然界にある音は目には見えないが同じような波からなっている。    

 しかし、魂にある騒音は思考から成っている。魂の中にある騒音を静かにさせたいならば、私たちの思考を点検しなくてはならない。あることについて、どう感じるかという感情を言いあらわしたとしても、自分自身の思考に気付く人はあまりいない。    

 自分の魂の中にある騒音を静めたいのであれば、私たちは感情ではなく思考の跡をたどらなければならない。そして、私たちの思考を神様の御言葉に照らして評価をしなくてはならない。もし私たちの思考に誤りがあればその事を悔い改め、神様を敬うような正しい思考と入れかえる必要がある。誤った思考とはどのようなものかを聖書から学び、しっかりと直視しなければならない。    

◇魂にある騒音はどんな音をだしているのか。    

 イエス様はマタイ一一・二八~三〇においてこの質問に対するヒントをお与えくださった。その御言葉は平和の原型であり、平和がどのようなものかを教えている。私たちはこのイエス様のお言葉から、神様との平和な関係をどのようにして持てるのか、そして神様がくださる本当の平安をどのようにしたら手にすることが出来るのかを学ぶことができる。    

 イエス様がお話しになっていた人々は弟子たちだけではなかったと思う。イエス様のお話しを聴こうとして集まっていたパリサイ人たちや他の宗教指導者も含まれていたことだろう。又その群衆の中には、神様との平和を得るためにはどうすべきかとパリサイ人たちに尋ね、パリサイ人からそのためにしなければならないことを数多く教えられてきた人たちもいたことだろう。その人たちは魂に平安がなく、救いを得たいと自分の力で努力していた人たちである。    

 ご自分の周りに集まってきた人々に対してイエス様は「わたしのところに来なさい。そして、すぐになくならない本当の休息と安らぎを得るためにはどうしたらよいかをわたしから学びなさい」と仰(おっしゃ)った。あなたは永遠の生命を持っているだろうか。(続)    

   

  ◎ 暗誦聖句  エペソ書一章三節前半
〝讃(ほ)むべきかな、我(われ)らの主(しゅ)イエス・キリストの父(ちち)なる神(かみ)〝

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する