FC2ブログ

習志野バプテスト教会の週報

◆愛の神を見つめる(10)

   ▽「人知を
     はるかに越えた
     キリストの愛を
     知ることができ
     ますように。」
   (エペソ三・一九)
   


  "God is more than enough"(神様は私にとって十分以上のお方)ジム・バーグ博士著からの翻訳    

 第二に、あなたが何をしたとしても、あなたに対する神様の愛を縮小させるものはない、ということ。確かに、罪を犯せば神様のお心を苦しめる。しかし、私たちに対する神様の愛を小さくすることはない。更に、神様は私たちの罪で驚かれることはなく、私たちをご自分の子とされたことを後悔なさり、子どもとしたことを白紙に戻す、ということはないのだ。    

 クリスチャンはギャンブルをしない。唯一(ゆいいつ)の例外は車を買う時である。良いと思って買うが、本当に良い買い物であったかどうか分からない。新車でも、リコール対象車であったり、不良品であったりするからだ。しかし神様がご自分の御子の血によって私たちを贖(あがな)ってくださる時、神様はご自分が手に入れられるものがどのようなものか正確にご存知である。    

 神様の愛は永遠に変わることがない。神様が預言者エレミヤを通しておっしゃったことを注意深く聞こう。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。」(エレミヤ三一・三)。    

 永遠の愛は、変わることがない。永遠に続く。これは重大な知らせである。永遠に続く神様の愛の寸法(すんぽう)を知ることは、あなたが知りうる真理の中でも最も重要なものの一つである。神様の愛は変わらないということを理解した。神様の愛について学ぶために、カルバリの十字架を考えてみよう。これ以上にイエス様の愛を明確に示すものがないのだから。    

◇ 神様の愛の証拠(しょうこ)(神様が私を愛してくださっていることがどうして分かるのか)    

 神様の愛が最もよく示されているのは、カルバリの十字架で私たちの身代わりとして成し遂げて下さった神の御子イエス様の御業である。イエス・キリストの十字架こそ神様の愛の完全な証である。    

「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリスト が私たちのために死んでくださったことにより、 神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしてお られます」(ローマ五・八)。    

「神はそのひとり子を世に遣(つか)わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(Ⅰヨハネ四・九~一〇)。    

   

  ◎ 暗誦聖句  マタイ伝一一章二九節後半
〝我(わ)が軛(くびき)を負(お)ひて我(われ)に學(まな)べ、さらば靈(たま)魂(しい)に休息(やすみ)を得(え)ん。 〟

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する