FC2ブログ

習志野バプテスト教会の週報

◆愛の神を見つめる(9)

   ▽「 人知を
     はるかに越えた
     キリストの愛を
     知ることができ
     ますように。」
   (エペソ三・一九)

   


  "God is more than enough"(神様は私にとって十分以上のお方)ジム・バーグ博士著からの翻訳    

 娘たちが就学前(しゅうがくまえ)の頃、お昼になると食事のためによく迎えにいった。娘たちはママとパパあるいは家族全員を描いた絵を握(にぎ)った手をふりながら、私たちを迎えてくれた。四歳児が描く典型的(てんけいてき)な絵である。    

 「すごい。がんばったね」とか「きれいな色をたくさん使ったね。上手だね」と娘たちをほめたものだ。心からそう思ったし、いっしょうけんめいに描いた娘たちを励ましたかったのだ。今でもよく覚えているが、娘の一人が「パパ、この絵をパパがお仕事をする部屋の壁にはってくれる?」と尋ねた。私は「あなたのことを愛している人たちはお家(うち)に住んでいるよ。だからこの絵はお家に持って帰って、冷蔵庫にはろう。そうすれば、あなたのことを愛している人たちは、この絵をいつも見れるだろう」と答えた。娘はその答えにとても満足した。娘の絵は、ルーブル美術館に展示されることはない。芸術的な質に欠けているからだ。しかし、その絵は私たちの家では貼られた。それは私たち夫妻は娘を愛していたからである。    

 この話から理解してほしいことは、次の真理である。娘たちが両親からの熱烈な賞賛を受けたのは、彼女たちが描いた絵がずば抜けて良かったとか、芸術的に優れていたからではない。両親が娘たちを愛していたからであり、娘たちが最善を尽くすように励ましたかったからであった。    

 私が天国に行って、主イエス様の御前に立つ時、「よくやった。良い忠実なしもべだ」(マタイ二五・二一)とイエス様がおっしゃってくださればと願う。しかし、もし私がそのようなお言葉をいただけるとすれば、それは私の「絵」、すなわち私自身のきよさによらないということを知っている。    

 神様が私の人生をおほめくださることは、正に大きな驚きである。もし私がそのようなお言葉を聞くことが出来るとすれば、お父さんを喜ばせようとベストを尽くした息子を励まそうとしてお父さんが言った言葉と同じであろう。私の生活がきよいものであったからでなく、父なる神様が愛に満ちたお方であるからに違いない。神様がご自身の愛の表現として私の内に、そして私を通して成し遂げられたことをご覧になって喜ばれるのであろう。(続く)    

   

  ◎ 暗誦聖句 ヘブル書四章一二節前半
神(かみ)の言(ことば)は生命(いのち)あり、能力(ちから)あり、兩刃(もろは)の劍(つるぎ)よりも利(と)くして、 〟

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する