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習志野バプテスト教会の週報

◆愛の神を見つめる(8)

   ▽「私たちが神を
     愛したのではなく、
     神が私たちを
     愛し」
     てくださいます。
   (Ⅰヨハネ四・一〇)
   


  "God is more than enough"(神様は私にとって十分以上のお方)ジム・バーグ博士著からの翻訳    

 もしあなたが自分自身の力に依存しやすく、責任転嫁をする傾向があるなら、自分の心をよく理解していない。逆に、自分の罪の自覚があなたを絶望と自己憐憫(れんびん)の深みに陥(おとしい)れるなら、罪を悔い改める者に与えられる神様のすばらしい恵みを知らない。    

 自分の罪深さを知る時に私たちは謙(へりくだ)るが、主イエス様の十字架上の御業(みわざ)を知る時に、なぜイエス様が私たちのために死ななくてはならなかったのかという思いに満たされ、さらに謙る者と変えられる。同時に、私たちのためにご自分の命まで捨てて下さったお方に対しての愛が強められる。    

 神様の愛は、理性を持った被造物(ひぞうぶつ)の最善(さいぜん)を望みご自分をお与えになるという善意に満ちた、被造物との個人的コミュニケーションである。愛は、他の人の霊的な必要を満たすために、自分を犠牲にすることと表現されることがある。    

 私たちはこれらの真理に対して疑いを持ち、言い訳しそうになる自分に打ち勝って現実を直視すべきである。私たちの罪深い考えに対して断固(だんこ)として戦わないなら、罪に満ちた心に耳を傾け、再び「下降する道」をすべり落ちていくことになる。    

◇ 神様の愛の広がり(どれほど広いものか)    

 パウロはエペソ三・一八で、信者たちが神様の愛の寸法、すなわち幅、長さ、深さを理解できるようにと祈った。神様の愛の広さに関して、二つのことを考えたい。    

 第一に、今以上に神様に愛されたいと思っても、そのために出来ることは何もないということ。神様の私たちに対する愛は完全であり、改善される余地がない。実は多くの信者が、神様から更なる愛をいただこうとして色々な良いことをしている。神様の御前で清く生きようとしたり、神様に他の人よりも熱心に奉仕をしたりしている。    

 事実は、神様は御子イエス様を愛されるように私たちを愛してくださる。ヨハネ一七・二三を見ると、イエス様は父なる神様に「あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛された…」とおっしゃっている。驚くべきことである。    

 このことが真理である理由は、神様は愛の対象が誰であってもいつも同じように愛されるからだ。そして、それは完全な愛をもってである。私たちが神様の祝福と注目をいただけるのは、神様の愛を受けるのにふさわしい者であるからではない。神様がそのような愛に満ちたお方であるからだ。(続く)    

   

  ◎ 暗誦聖句 ピリピ四章六節
〝何事(なにごと)をも思(おも)ひ煩(わずら)ふな、ただ事(こと)ごとに祈(いのり)をなし、願(ねがい)をなし、感謝(かんしゃ)して汝(なんじ)らの求(もとめ)を神(かみ)に告(つ)げよ。〟

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