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習志野バプテスト教会の週報

◆ 愛の神を見つめる(5)

   ▽私たちの神様は
   「あらゆる恵みに
    満ちた」お方
   (Ⅰペテロ五・一〇)
   


   "God is more than enough"(神様は私にとって十分以上のお方)ジム・バーグ博士著からの翻訳    

 私があなたに気付いてほしいことは、シャンノンは「良い」ルームメイトについて誤解していたためにルームメイトに対する期待はゆがんだものであった、ということである。多くのクリスチャンは、「良い」神様はこのようにして下さるはずだと考えて、神様がそのようになさらない時にがっかりする。そのようなクリスチャンは神様についての正しい理解をもっていない。    

 事実は、神様はいつでも神様としてA++(満点)という評価をお受けになるのだ。神様は卓越したお方である。すなわち神様のすべての部分が理想にかなっているのだ。もし私たちが何かのことで神様は不十分なお方だとして、神様によくない評価をつけるなら、私たちは偶像礼拝の罪を犯すことになる。この章のはじめに記したトウザーの説明を思いだそう。私たちは神様について聖くないことを考えるべきでない。神様に対して不敬の罪、すなわち最も重い罪を犯すことになる。そしてそれだけでなく、事実とは全く違う誤った神観をもって私たちはこの世で生活をし、自分自身が分裂状態になっていく。    

 神様は善であられるということは、神様は慈悲深く善意に満ちたお方であると意味する。すなわち、「神様は私にとってすばらしいお方、最善をなしてくださるお方」である。サタンはアダムとエバに正にこの点について疑いをもたせ、神様に不従順の罪を犯させたのである。サタンは善意ではなく、悪意に満ちたものだ。もし私たちが神様の善性、すなわち神様の愛を少しでも疑うならば、霊的に最も危険な状態に自らを置くことになる。私たちは、神様ご自身の御言葉を通して、そして神様の御業(みわざ)を通して神様の愛をお示しください、と神様に願い求めるべきである。    

 私はボブ・ジョウンズ大学の一年生の時、神様の愛に捕らえられた。両親は少なくとも一年間はクリスチャンの大学に行くようにと執拗に命じた。私は嫌(いや)だったが、仕方なく一九七〇年にボブ・ジョウンズ大学に入学した。私は一年だけ我慢したら、家に戻り、自分の夢を追いかけ、これまで楽しんできた罪を再び満喫しようと考えていた。当時の私の夢も罪深い生活も私の人生に対する神様の召しではなかった。                (続く)    

   

  ◎ 暗誦聖句  詩篇七三篇二六節後半
〝されど神(かみ)はわがこころの磐(いわ)わがとこしへの嗣(ゆ)業(づり)なり 〟 

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