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習志野バプテスト教会の週報

◆ 愛の神を見つめる(3)

   ▽「…神は私たちに
    対するご自身の愛を
    明らかにしておら
    れます。」 
    (ローマ五・八) 
   


   "God is more than enough"(神様は私にとって十分以上のお方)ジム・バーグ博士著からの翻訳    

 ローマ八章三一~三九節を読んでみよう。この真理が人間の魂にどれほどの安定をもたらすか分かるだろうか。神様の御言葉を通して、私たちを個人的に愛してくださる神様を知らなければ、誰も神様が教えてくださる真の満足を味わうことができない。エペソ三章から、イエス・キリストの愛の「広さ」、「長さ」、「深さ」を御霊によって教えられることが、私たちの内なる人が霊的に強められる源泉である、と学ぶ(一四~二一節)。私たちは、この驚くべき愛を知らなければならない。    

 三人の娘がまだ小さいとき、私の両親が飼っていたティンカー・ベルという大きなシャム猫が怖くてしかたがなかった。両親の敷地に入った瞬間に、娘たちは「ティンカー・ベルは家の中?」といつも聞いた。ティンカー・ベルがいるならば、家の中に入りたくなかったからだ。    

 私は農場で育ったため、いつも動物と一緒であった。故に娘たちがティンカー・ベルを怖がる理由が分からなかった。しかし、娘たちの視点で状況を考えると、なるほどと思った。ティンカー・ベルは、私にとってのボブ・キャット(野生の赤オオヤマネコ)のような存在であったのだ。山を散策中にボブ・キャットが目の前に出てきたら、確かに恐ろしいことである。同じ理由で娘たちは怖かったのだろう。    

 娘たちがティンカー・ベルに近づく時は、私が膝(ひざ)の上にティンカー・ベルをのせ「来てごらん、なでてごらん」と呼ぶ時だけであった。恐(おそ)る恐る小さな手を出して用心しながら一回か二回ティンカー・ベルを触って逃げて行った。娘たちは勝ち誇った感じで「ママ、ママ、ネコを触れたの。ネコをなでたのよ。」というのだった。    

 娘たちから恐怖心を除いたのは何であったのか。私の体が大きかったからではない。祖父がティンカー・ベルを膝の上に抱いて「おいで。なでてごらん」と娘たちを呼んでも、彼女たちは、ティンカー・ベルの所には近づかなかった。娘たちは、私の父がその猫よりも大きく力があることを知っていた。しかし、三歳と五歳の娘たちは、私の父が彼女たちを愛し、守ってくれるということを理解するほど、祖父と時間を過ごしていなかったのだ。娘たちは私がティンカー・ベルよりも大きいということだけでなく、私が彼女たちを愛し、危険から必ず守ってくれるということを知っていたのだ。(続く)    

   

  ◎ 暗誦聖句  詩篇一〇三篇一九節 
〝主(しゅ)はその寳座(みくら)をもろもろの天(てん)にかたく置(すえ)たまへり その政權(まつりごと)はよろづのもののうへにあり 〟

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