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習志野バプテスト教会の週報

◆ 聖書が示す、聖書を学ぶ理由(8)

      ▽「私に悟りを
        与えてください。
       私はあなたの
       みおしえを守り、
       心を尽くして
       それを守ります。」
      (詩篇一一九・三四)
         


   ステュワート・カスター博士がお書きになった "Tools for preaching and teaching the Bible"(聖書を説教し、教えるために必要な道具) という本からの続き。    

 主イエス・キリストは、聖書の講解説教者の模範でいらっしゃる。主は決して無知を奨励なさらなかった。復活後主が弟子たちに現われた時、ご自身について記されているみ言葉を理解出来るようにして下さった。〝 そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて〟(ルカ二四・四五)、彼らにメシヤについて預言されているみ言葉をご説明になった。弟子たちが福音を宣教するために、彼ら自身がそのみ言葉の意味を理解しなければならなかった。    

 同じように、「主が私たちにもみ言葉を悟らしめてくださるように」求めなければならない。使徒ペテロはペンテコステの日にヨエル書のみ言葉を説明し、その聖句を説き明かした(使徒行伝二・一四~一七)。使徒ペテロは明らかに、彼が主から聞いたことを説明したのである。ペテロはまた、新約聖書的説教の方法を開始した。すなわち、一つの聖句をかかげ、そのみ言葉の意味を説き明かす方法である。二〇世紀の間、この説教の方法は、テキスト説教と講解説教それぞれにとって一般的方法である。    

 聖書には、聖書を学ぶ者は他の人達よりも善良であると記している。〝ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた〟(使徒行伝一七・一一)。ベレヤのクリスチャンたちの模範は、全ての信者が神様のみ言葉を系統立てて、熱心に学ぶように励ましている。現在においても、人は神のみ心を求めてみ言葉を学び、探求する時、その人の品性は研(みが)かれて、よい人格を形造るのである。    

 聖書の中で最も心を動かされる所の一つは、使徒パウロが信仰による息子であるテモテへ獄中から書いた手紙の中にある。〝 あなたが来るときは、トロアスでカルポのところに残しておいた上着を持って来てください。また、書物を、特に羊皮紙(ようひし)の物を持って来てください〟(Ⅱテモテ四・一三)。使徒パウロは長く険しい伝道者生涯を終えようとする時にも、聖なる神の御言葉を熱心に学んでいた。    

 「書物を、特に羊皮紙の物」とは、聖書か聖書に関する本に違いない。聖霊に導かれて神のみ言葉を多く記したパウロであったが、み言葉の学びは必要がないと考えなかった。死の間際(まぎわ)まで、パウロは入手可能な全ての物を用いてみ言葉を学ぼうとした。使徒パウロの誠実な学びの姿勢は、「み言葉の学びを継続すること、そしてみ言葉をより深く学ぼうと決意することは、すべての信者の責任である」と訴えている。(おわり)    

  ◎ 暗誦聖句  ペテロ前書一章三節前半
〝 讃(ほ)むべきかな、我(われ)らの主(しゅ)イエス・キリストの父(ちち)なる神(かみ)〟

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